今月も最終週ですね。僕のカレンダーは土曜日と最終週しかない感じです。つまり、毎日会社に行ったりしている方達みたいに、土日がお休みと決まっているわけでもないですし、その曜日にその場所に行かないといけない、という縛りが、土曜日の生放送しかないということなんですけどね。
で、最終週というのは、毎月、最後の木曜日にBAYFMでやっている深夜の生放送があるんですよ。「モザイクナイト木曜日」。レギュラーは、以前NHKでDJをやっていた中村貴子さんが一人でやっているんですが、最終週だけ、僕が入って、彼女が相手をしてくれるという形です。
時間がすごいんですよ。夜中の1時半から朝5時。3時間半。去年の10月に始まるときは大丈夫かなと思ったんですが、意外と持ってます。夜中で気楽と言うこともあるんでしょうね。テンションが上がって眠気どころじゃなくなるのかもしれませn。
深夜放送ですからね。普段出来ないこと、かからない曲を流そうということで、毎回一つのテーマで「とことん」やってます。去年の10月は「とことん吉田拓郎」11月「とことん浜田省吾」12月「とことん氷室京介」1月「とことん60年代」2月「とことんGLAY」、先月は「とことん沖縄」でした。どうすか。あんまり普通の番組ではない感じでしょう。
で、今日は「とことん70年代」。まあ、今の気分がそうなんでしょうね。どんな曲が流れるかは、想像が付きそうですね。拓郎・陽水・ユーミン・みゆき・泉谷・矢沢..。でも、そこから先になると割と人によって違うかも知れません。若いリスナーにはどんな風に届くかも楽しみです。
何と言っても、僕は深夜放送出身ですから。70年代の半ばに文化放送の「セイヤング!」の構成を、週三日、落合恵子さん、せんだみつお、みのもんた、とやってたんですよ。それぞれキャラが違うでしょう。落合さんは素敵でした。レモンちゃん、懐かしいです。「真夜中の歩道に打ち上げられた、泣き虫レモン」だったかな。あれは彼女が自分でつけたコピーですけど。
毎週、四谷の文化放送で夜明けまでスタジオにいたんですよ。若かったな。でも、70年代の終わりに、深夜放送が妙に芸能界化してしまって離れました。だから「BAYFM」のこの話が来た時は、まさか、自分が、しゃべる側で深夜放送に戻るとは思っても居なかったんで、嬉しかったんですよ。
TBSの「パックインミュージック」でしゃべっていた枡井論平さんが「僕は深夜を解放する」という本を出したりしてましたけどね。そこまでは出来ないでしょうが、せめて、朝まで、楽しい時間を過ごせたらと思ってます。もし、良かったら、聞いて下さい。
4月25日ですね。ニュースは福知山線事故一周年を伝えてました。朝の通勤ラッシュで突然の事故。痛ましいとしか言いようがありません。生きて行くのは大変なことです。
それとは別に、この日になると思い出すのは尾崎君のことです。92年4月25日でした。忘れもしません。午後2時くらいだったでしょうか。永井真理子の事務所で聞いたんですよ。「尾崎が泥酔して保護されたらしい」という報せが入って、取材が終わった時には「死んだらしい」となってました。
あの日は酔いましたね。誰かの武道館のライブに行ったものの、気が滅入って、「パチパチ」の編集部に電話をして、残っていた編集長と勝手にお通夜をやったんですよ。べろべろでした。やりきれなかったんですね。何でそうなってしまうんだ、というどうにもならない気分で一杯でした。
尾崎君の思いでは色々ありました。最初に見る予定だったのは日比谷のアトミックカフェというライブだったんですが、僕の方の家庭の事情で、会場の前で引き返してしまって見れなかったんですよ。翌日に予定されていた、吉川晃司・小山卓治・尾崎豊という3人のライブを見に行ったら、前日のライブでPAから飛び降りて骨折した、ということで欠席。代わりに「尾崎君からのメッセージです」と鳩が100羽放たれました。上空を舞う鳩を見ながら「今時こんな奴がいるんだ」と思った記憶があります。
日本青年館の身を削るようなステージを見た時「コイツ、死ぬな」と直感的にそう思ったのは事実です。これは他にも書きましたが、85年の大阪球場のライブの打ち上げで、成功に酔う関係者の間で「ミュージシャンはどのくらい歌えば幸せになるでしょうか」と言って頭から手に持っていたビールをかけたシーンはまだ焼き付いています。ニューヨークでも一緒だったことがあるんですよ。僕の40回目の誕生日は取材で行っていたニューヨークで、その前後数日には、みゆきさんと甲斐バンドと中村あゆみと尾崎豊がいました。でも、もう20年前です。
一つ言えるのは、あの時彼が登場していなかったら、きっと、今僕はこんな風に音楽の周辺にはいなかっただろうなということです。85年、拓郎さんが二回目の「つま恋」を終え、浜田省吾も、甲斐バンドもメジャーになってしまい、音楽に関わっていてもしょうがないかなと思っていた矢先に現れたのが尾崎でした。
天才だったなあ、とか、どうしようもない奴だったんだなあとか、勝手に思い出したりしてます。生きていれば40才ですか...。4月30日の葬儀は雨でしたね。何だか書きすぎた気もします。改めて、合掌です。
どんな夜になるのでしょう、というほど大事件にはなりませんでした。もうそんな年じゃないんですよね。久々に会ったからと言って、朝まで大騒ぎというのは若い頃のことで、和気あいあいと話に花が咲く、という、一つ間違えば、老人ホームじゃないか、という雰囲気。でもないか。やっぱりビールは飲みましたけど。それもほどほど。きっと、「つま恋」もこういうムードなのかなと思いました。「朝までやるぜ!」が無理なのは、ステージだけじゃなくて客席でしょう(笑い)。
カラオケタイムが終了していて、ほっと一息でした。「お前、音楽評論家なんだってな、何か歌えよ」という空気が苦手です。歌うのは好きなんですけどね。でも、業界以外の同世代の人間と逢う機会もあんまりないんで、面白かったですね。早期退職したものの、割り増しの退職金を使ってしまってタクシーの運転手をやったる奴がいたり、山梨の方に畑を買って、週末は農業をやってる奴がいたり、社長もいれば旦那さんをなくした女性もいる。人生模様というんでしょうか。
団塊の今後、という、「クローズアップ現代」のテーマそのままという感じでした。確かに、この後、日本は変わりますよ。
ということで、今から原稿。毎日新聞の連載を書きます。
何だか肌寒いです。なかなか春になりません。暖かいところに行きたいなあと思うのは僕だけじゃないでしょうね。と言って、暑くなったらなったで、文句を言うのでしょうが。
ブログ初心者なんで、送ってくれたコメントへのコメントの仕方が分からないんで、貰いっぱなしになってます。すみません。
今、URCのシングルスがかかってます。URC、うーん、久しぶりに聞いてます。斉藤哲夫の「悩み多き者よ」は良いなあ、とか思ったり。
昨日の「J-POPマガジン」のゲストがサンボマスターで、インタビューに加川良だとか高田渡だとか、あの頃の名前が出てきていて、ふっと聞き直そうと思った次第です。サンボマスターは良いですよ。
木曜日からずっと原稿です。昨日の生放送以外はPCに向かってます。四日間ライブに行かないと禁断症状になったりするのですが、原稿は仕事ですからね。今年は原稿第一です。
スタジオジブリの機関誌「熱風」で、「CMソングの50年」を大森昭男さんというプロデユーサーを軸に書いていた連載が、夏頃に単行本になるんですが、それにつける書き下ろし部分のためにやった大森さんと大滝詠一さんの対談をまとめていました。大滝さんが表に出てくることは少ないんで、かなり面白いと思います。そう言えば、はっぴいえんどもURCでした。
「クローズアップ現代」はやっぱりみんな見てますねえ。さすがNHK。そんなわけで、「見たよ」という高校の友だちと今から会います。7,8人集まるそうで、場所がカラオケレストランというのが嫌な予感です(笑)。都立三鷹高校。40年ぶりの奴もいるようです!
どんな夜になるのでしょう。
昨日、NHKの「クローズアップ現代」が放送になりました。団塊の世代と定年、そして吉田拓郎という三題噺的構成でした。かなり詰め込んでいて時間不足は否めませんでしたが、ああいう番組では、直接音楽を扱ったり、一人のアーテイストに寄ることは難しいんでしょうね。博報堂というのはひっっかかりましたが、まあ、目くじら立てても、という所です。音楽を扱ってくれてありがとうとうのもありますし。それにしても拓郎さんの存在感は圧倒的でしたね。顔が映っただけで他の要素は飛びますよ。
驚いたのは、今朝、グアムに住んでいる友人から「見たよ」というメールが来てましたことですよ。25年くらい前「ダイビングワールド」という雑誌の編集長をしていた水中カメラマンで、今は、グアムに移住してる男です。グアムでも映るんだ、さすがNHKという感じでした。
昨日、元ちとせさんのインタビューでした。出産休暇復活後アルバム「ハナダイロ」。スピリチャルで素晴らしいアルバムです。