傷つきやすいライオンさんのコメント、興味深かったです。そうだよなあ、と思いつつ、そうかななあとも思ったりしました。
確かにレコード会社で買う訳じゃないですよね。それは的を得た指摘だろうと思います。巨大化企業に対しての反発、大賛成です。BOOWYがかっこ良かったのも、その前の甲斐バンドがふてぶてしくロマンテイックに見えたのも、そうした巨大ビジネスの中に攻め込んでいって、自分たちの反逆(言葉が滑ってますが)の旗を掲げた、と見えたことにあったと思ってます。
巨大な産業に立ち向かって、なおかつ自分たちの志を捨てない。それは今のバンドでもあるんだと思います。GLAYにしろ、BUMPにしろ、みんなそうでしょう。インデイーズでやろうという人たちにはなおさらです。もちろん、そういうバンドやアーテイストは好きです。
でも、というのもあるんですよ。これは世代かな。年齢かな。やっぱり時代かな。60年代にしろ70年代にしろ、レコード会社へのロマンというのがあったんですよね。エルビスが10代の時に初めて吹き込みをしたサンレコードというローカルレーベルは、今でも伝説になっているわけですし。チューリップが東芝EMIに決めたのは、ビートルズのレコード会社だというその一点でした。アトランテイックというレーベルはR&Bの宝庫でしたし、ジャクソンブラウンがいたアサイラムというレーベルは、カリフォルニアそのものでした。モータウンもそうですよね。
日本で言えばフォーライフもそうでしょう。拓郎・陽水・小室さん・泉谷。そんなアーテイストの夢の砦がレコード会社だったわけですから。今は、そうではないでしょうけど、レコード会社で音楽を選ぶという時代が確かにあったんですよ。
あった、ですよね。過去形です。レコードがあってこそのレコード会社だったわけですからね。CDしかりです。CDが要らない時代になって、レコード会社へのロマンがどう成立するのか。その答えは難しいですよね。以前はそういうパッケージがないと音楽が聴けなかったわけですからね。今は、そうではない。ここがやっぱり決定的でしょう。昨日、つい、応援調になってしまったのは、自分のノスタルジーへ向けたものだったのかもしれません。
ただ、レコード会社のすべてが不況下というとそうでもないわけで、それはやはり東芝EMIの経営的な問題だったのかもしれません。CDを売ると言うことだけでなく、アーテイストをどう育てるか。音楽を育てるという形に移行しなければいけないんだと思います。これはもう数年前から言われてますけどね。
今日、アクアタイムスのインタビューがありました。「J-POPマガジン」の来週のゲストなんですけど、改めて、「空いっぱいに奏でる祈り」と「七色の落書き」を聞いていて、うれしい名前をみつけました。プロデユーサーが以前、佐野元春や渡辺美里を育てた人物だったんですよ。元気そうで良かったなあと思いました。
最初から、彼がやってるんですよ、と言われたわけじゃなくて、そんなことを知らずに聞いていて、気づいたというのがうれしかった次第です。ということは最終的には会社の問題ではなくて、個人だと言うことでしょうか。いい音楽を作っている人はどこに行ってもやれる。それが希望ということになりそうですね。東芝EMIをやめた人たちもきっと、他で頑張って生きていってほしいものだなあと思ったりしてます。
そんなわけで明日の「J-POPマガジン」は待望!宇多田ヒカルさんです。増刊号が60分ありますが、Apbankや氷室・GLAY、レミオの滑走路ライブ、そしてつま恋、そんな話をしようと思ってます。お楽しみに!これ、口癖になってる(笑)。
何だかめちゃめちゃベタなタイトルになりましたけど、ニュアンスとしては「やりきれない知らせ」という感じでしょうか。空しいというか、困惑したというか。ほんとかよ、と言うか。どっちにせよプラスイメージじゃないことは確かです。
東芝EMIに関してですね。去年の業績が思わしくなかったんで、全社員のかなりの割合で早期退職をつのり、なおかつ溜池の自社ビルを売却するというニュースでした。
そうかなあ。確かに、去年、東芝EMIは大ヒットがなかったし、業績が悪いのは想像がつきますが、ビルを売るほどのことなのかなあ。レコード会社にせよ音楽業界にせよ、どっちかと言うとギャンブルみたいな要素の強い業界であることは間違いないわけですし、浮き沈みはつきものなんですよ。一年や二年、低迷していても救世主となるアーテイストやバンドが出てきたりということがドラマテイックなわけで、それを、普通の企業のように、今年の業績が悪いからと言って、ビルを売却しなければいけないというのは僕には分かりません。
東芝EMIは、以前、90年代にもそういう時期があって、そこに颯爽と東上したのが宇多田ヒカルさんだったわけで、だからこそドラマテイックでもありました。あの時、東芝EMIを舞台に音楽業界版の「プロジェクトX」が書きたいと思ったこともありました。
今の東芝EMIの経営陣にはそういうロマンはないのかもしれないですね。まあ、そんなこと言ってる場合じゃないくらいに切迫しているということなのかもしれませんが。寂しい話であることは間違いないです。個人的にも一番思い入れのあるレコード会社が東芝EMIですし。
今、毎日新聞で連載している、作詞家・岩谷時子さんの話が、ちょうどそのあたりなんですが、日本の音楽業界で一番自由で、先進的だったのが東芝なんですよ。坂本九の「上を向いて歩こう」を初め、70年代のユーミンやミカバンド、オフコース、チューリップ、甲斐バンド、そしてBOOWYという流れはそのまま日本の新しい音楽の歴史でしょう。
先週のロスの取材は氷室京介に関してのものでした。今度、GLAYと行うジョイントライブにしても、両方とも東芝EMIですよ。「J-POPマガジン」の今週土曜日のゲスト、宇多田ヒカルさんも、もちろんそうです。これだけ素晴らしいアーテイストがいて、財産とも呼べる旧譜もあるのに、会社自体がそんなに腰砕けになってしまって良いのかなあと思ったりします。
知り合いも、何人か止めてしまうようでう。寂しいなあ。CDは売れてないわけでCDは不況なんでしょうけど、コンサートには人が入っているし、ダウンロードなどの新しい聞かれ方は定着してきているわけで、音楽自体はこんなに聞かれている時代はないのに..。
音楽というのはどういうものなのか。今の時代に、どんな聞かれ方が良いのか。そして、レコード会社はどうあるべきなのか。みなさんも考えてみて下さい。宇多田さんの新しいアルバムも創造性に富んでますし、7月12日に出るGLAYの4曲入り「G4」も、GLAYの再出発に相応しい力作です。業界のそんな事情がアーテイストに負担になったりマイナスにならないことを祈るばかりです。
頑張れ東芝EMI!負けるな東芝EMI!音楽ファンは、東芝EMIの歴史を見捨てない(と思いたい)。自社ビルなんかなくても音楽は途絶えない!。
こういうこともあるんですね。人が死んだりとか、悲しい話ばっかりじゃないわけですよ、人生というやつは。そんな電話をもらいました。
かけてきたのは文化放送の旧知のデイレクター。もう十年ぶりくらいになるでしょうか。彼が、7月に出演してくれないか、と連絡をくれました。
ご存じの方もいるでしょうけど、文化放送は新社屋に移転します。今までの四谷の局からの放送は今年の7月までなんだそうですよ。その依頼された番組というのが旧局からの最後の直前の週の生放送というものでした。
以前、少し書きましたが、僕は、放送作家だった時代があります。70年代の半ばには分阿呆そうでレギュラー12本という時代がありました。その前は、「セイヤング」という深夜放送の夕刊フジのようなタブロイド判8ページの機関紙を一人で編集して自分で原稿を書いてました。もっと前は、新宿のタウン誌「新宿プレイマップ」の編集をしていたんですが、その雑誌は文化放送がイニシアシチブを取って誕生したものでした。
つまり、20代のほとんどは文化放送と関わっていたわけです。77、8年かな、深夜放送が人気になって、それまでは馬鹿にしていた芸能界が、進出してきて、アイドルがパーソナリテイをやるような時があったんですよ。その時にちょうど新しい雑誌の創刊の話があって、僕は抜けてしまうんですけど、その時も「もうここは俺の場所じゃないな」というような諦めの気持ちが強かったんです。きっともうラジオには戻らないな、という感じかな。
ですから、今、こうして自分の番組を持ったりしているのが夢のようでもあるわけで、その電話は、まさに、そんな感慨を感じさせてくれたということなんですよ。
当時ですから、僕も長髪ジーンズ。かなり異色だったと思います。だって、局の中でボヤがあった時に真っ先に疑われたんですから。制作部長に呼ばれて「何月何日何時、どこで何をしていた」と聞かれたんですね。「喫茶店で原稿を書いてました。マスターがみてました」と言って無罪放免になったんですけどね。すごい話でしょ。相当怪しかったんですよ(笑)。でも、よくそんなに仕事をさせてくれましたよね。ま、そういう時代でしたが。若者文化全盛と言いますか。
そこが最後の放送に呼んでくれた、しかも出演者としてですからね。自分の20代に決別するという感覚でしょうか。再会するでも良いのかな。7月17日「団塊クラブ」という番組だそうです。問題は、7月15、16、17日とつま恋で「AP BANK FES」があるんですよ。16日をみてとんぼ帰りでということになりますが、まあ、たいした問題じゃなさそうです。
まだ最終決定じゃないそうですけど、もしドタキャンになったら、むちゃくちゃ悲しいでしょうね。長々と、昔話、失礼しました!
さすがに疲れが抜けません。というか昨日より疲れが出ているみたい。身体が重いし、頭はぼーっとしていて、一日かかって新聞の原稿が一本しか書けませんでした。机に座ったままウトウトというのはまさしくAB型ならではでしょう。
疲れが出るのが遅くなると言うのは年齢なんですってね。ゴルフでも草野球でも二日後に疲れが出るようになったら、老化現象が始まっている証拠だそうです。そうやって考えると、今日の方がだるいのは当然かもしれませんね。だって、嘘偽りなく、トシなんですから(苦笑)。
昨日の新聞みましたか。死亡告知欄ですよ。あ、この欄をみるようになるのもトシの証拠なんだそうですね。これは小田さんが言ってました、朝起きるだろ、新聞広げて、今日は、誰が死んだのかなと思ったりしちゃうんだよな、としみじみとですよ。その気分わかりますか。巨人が勝ったかどうか(なんて思うやついないか。最近は)、よりもまず誰が死んだかが気になる、これは紛れもなくトシ、以外の何者でもない。
で、昨日の新聞に、放送作家の永井準さんの死亡告知が載ってたんですよ。知らない人の方が多いでしょうし、僕も直接会ったことはないんですけど、テレビの放送作家としては有名な人でした。鈞ちゃんの”座付き作家”というんでしょうか、彼の番組には欠かせない人間でした。57歳とありました。
早いなあ、みんな。こういう仕事をしているとやっぱりそうなのかな。放送作家とか、ジャーナリスストとか。無茶してるからなあ。徹夜だの飲み過ぎなどは日常茶飯事、暴飲暴食が歩いているというような生活ですからね。幸い、僕は、その辺は卒業したつもりですが、困ったことに時々顔を出します。
改めて、そう思うと、たくさん亡くなりました。今年、ニッポン放送で80年代に拓郎さんの「オールナイトニッポン」のデイレクターをしていた淺野さんも亡くなってしまいましたし、名前を知られている人や業界の裏方にいたるまで、数えると悲しくなるくらいにたくさんいます。みんな50代でした。60になる前に逝ってしまったことになります。やっぱり”60”というのは大変な壁なんだなと思ったりします。
またしても話が思わぬ方向に行ってますね。縁起でもない、という感じでしょうし、40代くらいの方にはピンと来ないと思いますが、結構、リアルなテーマなんですよ。50代に入ったミュージシャンが「いつまで出来るだろう」と思うようになるのも、そういうことだと思います。
そこから何かが始まる、と思いたいです。だからこそ本当にやりたいことが分かってくる、ピュアな気持ちになれる。2007年問題というのもそこにかかってきてますよね。定年を迎える団塊の世代の多くが”終わりじゃなくて始まり”と考えているというのも、そういうことだと思います。
疲れが抜けないからこそ、厳粛な気持ちで締め切りを迎えるってか。そんなことはないっす。さっさと済ませてライブにゆきたいという気持ちは年々強くなる感じです。やっぱり根がテーゲーなんでしょう(笑)。元気なのはやっと散歩に出られた猫ばっかりであります(苦笑)。
というわけで、ようやく家に帰れました。長い一週間でした。こんなにまとめて移動したのは生まれて初めてでしょう。ロスから戻った羽田で目が覚めた時は、一瞬どこにいるんだろうと頭が回りませんでした。以前、浜田さんのツアーの全行程に同行した時、旅先のホテルで、そういう感覚になったことがありましたが、今回は短期集中的だったんで、自律神経がグシャグシャになった感じでした。
でも、沖縄は良かったですね。NACK5の「J-POPマガジン」をレギュラー枠と、夕方から夜の2時間半の特番と二本やったんですが、その模様は、パートナーのカオリン、こと横田佳織さんのブログが携帯写真つきで克明に記録してますから、そちらの方も行ってみて下さい。スタッフの様子も見ることが出来ます。
僕もPCは持って行ったんですが、ロスではそんな時間もなく、沖縄ではモバイルが通じず、開かないままになってしまいました。電話線を繋げば良いんでしょうけど、まあ、いいや、と思わせてしまうのは沖縄ならではでしょう。というより、もともと、そっちは得意じゃないということでしょうけど。沖縄では、こういう人間を”ていげいなヤツ”と言います。”テイゲイ”というのは”適当”という意味ですけど。沖縄では、そんなにマイナスがニュアンスでは使われてないようですね。
沖縄では名護市のカヌチャベイ・ホテル&ヴィラズのプールサイドから生中継でした。プールサイドから生中継!似合わないっすよね。お前は加山雄三か(笑)。でも、本編には我那覇美奈さん、特番にはリンケンバンドの林賢さん、新人バンドのホイフェスタ、宮古島のシンガーソングライター、下地勇さんたちが来てくれて、かなりバラエテイに富んだ沖縄特番になりました。
我那覇美奈さんは、浜田省吾のプロジェクトFAIR LIFEのアルバムに参加していたり、拓郎さんの「風邪になりたい」をカバーしている、奄美大島出身の女性です。奄美大島は「ON THE ROAD2001」の時に行ったりもしていたんで、盛り上がりました。奄美大島の中学生は修学旅行で沖縄に行くんだそうです。
カヌチャベイは那覇から車で二時間ほど行った東海岸のリゾートです。亜熱帯の自然がまんま残っている、日本では珍しい滞在型リゾートです。のんびりしますよ。海を見てればそれだけで気分が安らぎます。でもね、ジュゴンが住んでいるという湾の反対側に、今、基地移転でよく話に出るキャンプ・シュワブがあるんですよ。
沖縄自動車道から、名護に入ると道路沿いの雰囲気も変わります。マングローブの話があったり、これが沖縄なんだよなあ、という一帯、そうそう天然記念物のヤンバルクイナも生息してる地域です。でも、そんな沖合に基地を作って良いのか、という実感に捕らわれました。海も珊瑚礁も一度壊した物は二度と戻らないということを、忘れてしまって良いのかなと思います。
リンケンバンドの林賢さんが、「いつまで沖縄に問題を押しつけるんだろうね」と言ってましたけど、音楽の話と、そういう話が自然にリンクするのが、沖縄でもありますね。そして、そういう問題を持ち込んでいるのは、沖縄の人ではなくて、本土の政治家たちです。あんなに綺麗な場所なのにね。ほんとに良いところですよ。
で、昨日の最終便で帰って、今日は、雑用で一日が終わり。早く頭を原稿モードにしないとね。