FM NACK5「J-POP TALKIN’」のインタビューゲスト。クレージーケンバンドの横山剣さんの次です。10月日に8枚目のアルバム「My Name」が発売になります。1994年生れ、今年の12月で30歳。まだ29歳。でも、デビュー12年です。
デビューした時は17才だったんだなあと改めて思いました。その頃からインタビューしてますけど、しっかりしてるなあ、という印象で年齢は意識させなかったと言っていいでしょうね。歌謡曲が強いレコ大の最優秀新人賞でした。
しっかりしているという面と大人の社会の中で流されまいとする健気さとの間で揺れ動いている。傷つきやすい自分を守りながら自分の求めるものを必死につかもうとしている。女性のソロアーテイストとしては独自の存在ですね。
でも、インタビューは5年ぶり。2019年の6枚目「DUO」以来。そんなに空いたんだと思いました。その間にコロナがあったり、ベストアルバムがあったりしてそうなりました。で、新作アルバム「My Name」を聴いて少し驚いたんです。
曲調も歌の内容も違う。去年7枚目の「NAKED」というアルバムが出ていて、それを聴いてみたんですが、やっぱり違う。別人とまでは言いませんけど素直なんです。前作から一年半しか経ってないのに、こういう変わり方をするんだ、と思いました。
例えば、伝えたいことがあるのにうまく伝えられずに彷徨っているみたいな感じがない。むしろ自分から愛したいという気持ちを口に出来ている。思春期に誰もが経験する「泣けない自分」を持て余してるみたいな痛々しさよりもっと清々しい。
話を聞いていてそういうことか、と思ったりしました。音楽で自分をどう表現するかという扉が開いた。今まで見つけられなかった自分に出会えたということなんでしょう。一人の女性が変わってゆく転機に立ち会えるというアルバムでした。
放送は9月25日と10月2日です。もし、他の誰かになれるとしても自分を選ぶよ、と歌ってる曲、タイトル曲の「my name」を。じゃ、お休みなさい。
FM NACK5「J-POP TALKIN’」の9月11日と18日放送のインタビュー。18日に出るアルバム「火星」について。このところベテランの域に達したゲストが続いてるんですね。そういう人とのインタビューは楽しい時間になります。
先週と先々週のゲストがTHE ALFEEの3人。その前が坂本冬美さん。今週と来週がChageさんですからね。冬美さん、デビュー37周年。THE ALFEEは言わずと知れた50周年。CHAGEさんデビュー45周年。二組ともデビュー日が8月25日。
で、Chageさんの後がクレージーケンバンド。去年がデビュー25周年。でも新作アルバム「火星」は24枚目のアルバム。26年目で24枚。ほぼ毎年一枚は出してきてる。しかも、詞曲は横山剣さんがひとりで書いている。
それだけのキャリアでアルバムを出し続けている人は多くないですよ。他に思い当たるのは今年がデビュー30周年の清春さんくらいかな。でも、彼は黒夢、SADSというバンドを経てのソロ活動ですからね。ずっと同じバンドの剣さんとは比較になりません。
クレージーケンバンドのインタビューは2020年のアルバム「NOW」以来。4年も経ってしまいました。その間に「樹影」「世界」とアルバムが出てます。「火星」は漢字二文字タイトルの三部作という感じですね。
タイトルを見た時、ついに宇宙をテーマにした、と思ったのですが、そうじゃなかったです。アルバムのオープニングに宇宙ロケットの発射みたいなSEが入ってましたが、何と「火星」は鶴見にあった焼き肉屋さんの名前。横浜にこだわり続ける剣さんらしい冗句でした。
剣さんは、「イーね!」のイメージが強いですけど、実は天才伝説に事欠かないソングライターなんです。7,8歳の時から頭の中で音楽が鳴り続けている。子供の頃は筒美京平さんや村井邦彦さんのような作曲家になろうとしていた。
中学生の時にユーミンを聴いてシンガーソングライターに目覚めてレコード会社に曲を持ち込んでいたこともある。ロカビリー集団、クールスに加わっていたこともある。でも、なかなかうまくいかなくて自分の曲を歌うために組んだのがクレージーケンバンドだった。
今も曲作りに苦労したことがない。普段の生活の中でも常に曲が浮かんでいる、毎年アルバムを出しても追いつかないという稀有な人なんです。新作アルバムは、若いトラックメーカーが加わって、今までになかった音を作り上げている。
横浜のファンキーな大人たちというバンドがリフレッシュした演奏を聞かせてくれている。横浜や湘南を舞台にした個人的な思い出や愛車にまつわる情景。どこか斜に構えてきた今までには歌ったことのないような素朴な心情も歌っている。
一つの言葉から話がどんどん深まってゆく。そんな会話も楽しんで頂けると思います。シャイで飾らない人柄が言葉の端々から伝わってくるインタビューになってると思います。というわけで、先行配信された曲、「ハマのビート」を。台風直撃。無事を祈ります。じゃ、お休みなさい。
FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」の9月の特集ですね。7月8月と二カ月間「802でもやらない夏休み自由研究」と題して「サブカル」をテーマにしてちょっと変わったことをやってみましたが、夏休みは終わり、いつもの路線に戻ります。
SKYEというのはバンド名。7月24日に二枚目のアルバム「COLLAGE」が出ました。メンバーは、ギター・ヴォーカル、鈴木茂さん、ベース・ボーカル、小原礼さん、キーボード・ボーカル、松任谷正隆さん、ドラム・ボーカル、林立夫さんの4人です。
全員が1951年生れの同期生。茂さんは言うまでもなく元はっぴいえんど、小原さんは、元サデイステイック・ミカバンド、松任谷さんはこれも言うまでもなくユーミンのプロデユサー、林さんは、松任谷さん、茂さんとテインパンアレイのメンバー。
松任谷さんは林さんに誘われて小坂忠さんのバンド、フォージョーハーフのメンバーに加わったことがプロへの最初の活動になった。そもそもは、茂さんと小原さんと林さんが1968年、高校生の時に組んだバンドがSKYEだった。
2019年に再結成しようという話になった時に、小原さんが松任谷さんを誘って今のメンバーになった。松任谷さんにとっては初めてのバンド。番組のゲストには小原さんと松任谷さんが来てくれました。
2021年にアルバム「SKYE」が出たのですが、その時はいわゆる「同窓会的バンド」かと思いました。が、そうじゃなかった。新作の「COLLAGE」は4人が自分のスキルとキャリアを持ち寄った力作でした。
全14曲、全曲がオリジナルの新曲。初めて4人全員で作って全員で歌っている曲もあります。松任谷さんが曲を書いている曲が6曲、そのうち詞も書いているのが3曲、小原さんの曲が5曲で4曲は詞と両方。林さんは7曲詞を書いている。
そして自分の曲は自分で歌うというのが基本。全員の持ち味がみごとにブレンドされている。全員が職人芸の持ち主ですからね。枯れていて色っぽいツボを心得たフレーズの気持ちよさが溢れている。ともかくうまい、それを誰もひけらかさない。
個々人の「エゴ」みたいなものが全くない。まずバンドありき。このメンバーでしか出せない音や演奏を楽しみながらやっている。お二人とも「もう残り時間が少ないし、ともかくやりたいことをやっておきたい」と話してました。
70代になって新しいことをやる。松任谷さんは、自分のバンドで曲を作って歌うのは50年来の夢だった、と言ってましたからね。ようやく実現した夢の形ということでもありますね。アルバム14曲、全曲を語って頂きました。
ここまで来たら、嫌なこともやりたくないでしょうし。これが熟成されたバンドの音だ、と言い切れるアルバムでした。オンエアは9月2日と9日です。後半は大貫妙子さん。曲ですね。アルバム「COLLAGE」の一曲目「ホームアゲイン」。全員で書いて全員で歌ってます。じゃ、お休みなさい。
昨日、知人のフェイスブックで知りました。82歳。デビューが早かったからもっと上のような気がしてました。彼は商業的な場面から退いた活動をしてましたから、お会いする機会も全くなかったんですが、いつかお礼を言いたいなあと思ってたんです。
音楽のことというより「ハワイ」なんです。何回かインタビューしたうちの一回がハワイでした。81年かな。僕はTBSラジオのインタビュー番組をやってました。僕がインタビューして原稿を書いて、竹谷英子さんが喋ってました。
そこで高石さんにお願いすることになったんですね。彼がトライアスロンとかを始めた頃です。ホノルルマラソンに出るようになって4年目くらいじゃないでしょうか。どうせならインタビューをハワイでという話になったんです。
僕の経費は高石さんの事務所とTBSで半々。願ってもないです。で、マラソンの二日前にワイキキのカピオラニ公園でインタビューをすることになった。話が始まってすぐに彼が「マラソンを終わってからにしよう」と言ったんです。
ここのマラソンはほんとに素晴らしい。普通のマラソンと違う理想がある。誰でも出られる。マネージャーにエントリさせるから君も走ってみないか、今からでも大丈夫だから、と言われて嫌とは言えない。走ることになったわけです。
でも、徹夜に二日酔い常習ですからね。走れるわけがない。20キロくらいで膝を壊してしまって後半は全部歩きです。リタイアしようかと思ったんですが、公私ともにごたごたが続いている時で、何か一新したかったんでしょう。辿り着きました。
彼もまさかゴールするとは思わなかったんでしょうね。待っていてくれて「ほんとに走ったね!」と言って抱き合いました。そんな経験は後にも先にもあの時だけです。何に感動したかというとそれだけじゃないんです。
この話はかなり前にも書いた気がしますけど、足を引き摺って苦しそうな人に対して沿道のボランテイアの人たちが「頑張れ!」と言わずに「SMILE!」と言うんです。何とか笑顔を作ると気分的に元気になるということを初めて知りました。
「頑張れ」と言わずに「SMILE!」と言う。それがハワイという島なんだ、と思った。そうやって生きて行こうと思ったんですね。新宿のゴールデン街で飲んだくれたりするのはもう辞めようと思った。
今でも自分の人生が「ホノルルマラソン以前以後」なんです。高石さんの「ハワイでインタビューしてよ」という誘いがなかったら、あの体験はなかったわけですし。その後、彼は京都に引っ込んでしまって取材の機会もありませんでした。
いつかお会いしてあの時のお礼を言わないとなあ、と思いつつ今に至ってました。もし、あの時、あの人がいなかったらその後はどうなっていたか分からない。そういう人がどんどん逝ってしまう。お礼も言えないまま終わってしまう。
言える時に言っておかないと、いつかという時はもう来ないとまたしても再認識させられました。高石ともやとザ・ナターシャセブンの「私に人生と言えるものがあるなら」を。高石さん、ありがとうございました。合掌です。お休みなさい。
今日と昨日ですね。THE ALFEEの50周年の記念イベント「50年目の夏祭り」。僕は昨日、見せて頂きました。大宮のNACK5で「J-POP TALKIN’」のCHAGEさんのインタビューの完パケを終えてそのまま湘南新宿Rラインで横浜に直行しました。
時間はちょうど1時間。大宮駅特製弁当を食べながらのちょっとした旅行気分。でも暑かったです。36か37度はあったでしょうね。横浜Kアリーナは新高島からも横浜東口からも10分弱で歩けるのですが、無理は禁物。タクシーにしました。
ライブ、熱が入ってました。あそこは2万人は入りますからね。坂崎さんが50周年で初めての会場でこんなに沢山のお客さんの前でやれる。3人とも気合が入ってますと言ってましたけど、その言葉通りでした。
中でも感動的だったのが高見沢さんですね。曲ごとにギターを変えながら「弾く」「歌う」「踊る」の三拍子。しかも声も今ままで聴いた中で一番出ている感じでした。ギターをかかえてジャンプしたりステップしながらのシャウトですからね。
それだけじゃない。天井からワイヤーでつるされて空中を上下しながら歌ってました。アイドル顔負け。小林幸子さんとか氷川きよしさんとか、ド派手なライブで知られる人はいますけど、あそこまでやった70歳はいないでしょうね。
だって、ソロアーテイストは大体、歌うことがメインですからね。彼の場合はそこに「創る」という要素もある。シンガーソングライター&ギタリスト&エンターテイナー。それだけじゃないですよ。コントの台本も書いてる(笑)。
昨日は「メリーアン」の盆踊りもありました。ロックとエンターテインメントの融合。でも、ラジカルな曲が多かったです。今の時代を真正面から歌った曲、その中で音楽の果たす役割、そして、バンドとお客さんの絆を歌った曲も多かった。
お祝いでありながらそれだけじゃない。「幻夜祭」「ジェネレーションダイナマイト」「Heart of Justice」の3曲はすごかったです。「Heart of Justice」には「黒い雨」も出てきますからね、「壊れ始めた地球儀、誰が止めるのか」ですよ。
その後に「Musician」が締めくくる。なぜ、今、叫ぶのか。もちろん楽しいバンドではありますけど、そこのブレがない。その後に「Musician」で本編を締めくくる。それでいてアンコールは「盆踊り」(笑)。シリアスだけど一人よがりにならない。
こんなライブが出来るバンドは他にいないと心底思いました。で、高見沢さんが言ったんです。「普通の老人にはなりません」。ユーモラスだけど実感がこもってる。拍手でしたよ。まあ、今からなろうとしても無理かもしれませんけど(笑)。
それにしても桜井さん69歳、坂崎さん、高見沢さん70歳。どんな70代になってゆくんでしょうね。いいライブでした。というわけで、曲ですね。アンコールで歌われた「LONG WAY TO FREEDOM」を。岡林信康かTHE ALFEEか。まだ道は遠いでしょうけど。じゃ、お休みなさい。