FM COCOLO「POP LEGEND CAFE」の4月、5月、6月の特集です。1975年6月に発足したフォーライフレコードの50周年特集。今日、前半二週「常やん・拓郎を語る」を収録しました。常やんというのは元フォーライフのプロデユサー、常富喜雄さん。
その前は猫というグループのリーダー。もっと前は早稲田の学生グループ、ザ・リガニーズ。猫を解散してギタリストとして活動していて拓郎さんに誘われてフォーライフに加わってプロデユーサー、デイレクターをしてました。
今もソロアーテイスト、NEKOというデユエットとしてもライブを続けていて、先月から3週間の地方ツアーで一昨日帰ったばかり、年間120本はコンサートをしているんだそうです。拓郎さんより二歳下。その年であれだけコンサートをやってる人はかなり少ないです。
彼が拓郎さんを現場で担当していたのは75年から85年の10年間。フォーライフが発足してからの一番大変な時期。アーテイストと社長の二足の草鞋を履いていた拓郎さんを知ってる数少ない人。彼が選んだ15曲について話をしてもらってました。
フォーライフは日本で初めてアーテイストが設立したレコード会社。契約される側が契約する側に回った。言ってみれば革命だった。逆風の中で発足した。業界から総スカンだった時期もありましたからね。レコード会社として成功したかどうかは評価も分かれるでしょうが、前例のない試みだったことは間違いないです。
評価の別れ方には、当初の小室さん、拓郎さん、陽水さん、泉谷さんがみんな離れてしまったとか、語らなくなっていることもあるのでしょうが、それはそれ。当事者の思う事で、僕らは僕らなりに思うことや楽しませてもらったこともあるわけです。
あまり語られなくなってるからこそやってみようというぶち抜き特集。こういうラジオもあっていいように思いますし。後半は陽水さんの話を残ってるスタッフをゲストに話して頂こうという二週間です。収録は来週かな。
で、今日、午前中にTBSの「ひるおび」に出たんです。JUJUの魅力について。ほとレコード会社の方が解説として推薦されたということで話が来ました、JUJUは好きなシンガーですし、今も番組に来てくれてますし、喜んでやらせて頂きました。
テレビ自体ほとんど縁がないですし、ましてや昼間の生ワイドなんて見ることもない。昔のテレビ人間の偉そうな態度にも辟易していて、大丈夫かなと思ったのですが、打ち合わせに沿ってかなり細かく作り込んでました。
FM COCOLOはデイレクターと僕だけ、NACK5はアシスタントも入れて3人。気楽です。でも、テレビはそうはいかない。感じたことのないプレッシャーで、昨日は寝られなくでどうなるかと思ってしまいました。
最近、気弱なんです(笑)。眩暈がしたたどうしようとかね。実はこのブログにも明日、出るんです、と書いて置きながら夜中に消してしまいました。何でしょうね。書いたことがプレッシャーになるような気がしたんです。
情けないでしょう。書き込みをして頂いた方、読まずに削除してしまってすみません。感想、差し支えなかったら聞かせ下さい。案ずるより産むが易しということになりました。余計な心配というか、どんどん臆病になってる。年を取るのは怖いことです。
というわけで、無事に終わりました。うまく行ったのかどうか自分では分かりませんが、どういう場であれ音楽の話をしてるのは楽しいな、と思えました。というわkでJUJUの「素直になれたら」。ほんとにそう思います。じゃ、また明日ね。
多分、日本中が悲鳴をあげてるでしょうから、僕だけじゃないでしょうけど。このお天気、何とかならないもんですかね。昨日も今日は夏日で明日は真冬日。今日26度で明日は8度。三分の一の気温しかない。
昨日も今日もまだ夏物とかしまいっ放しだよなと思ったら、明日はしまいかけたセーターを引っ張り出さないといけない。連日、冬だか夏だか分からない。赤あげて、白あげてと思ったら赤下げて、白も下げてと言われて右往左往してる感じ。
ともかく身体がついていかない。エアコンも何度で入れればいいのかがはっきりしない。寝てるんだか起きてるんだか分からないまま時間が経ってゆく。身体がだるくて昼間眠くてしょうがない。昨日、寝過ごしたんです。
渋谷のスタジオでNACK5「J-POP TALKIN’」のさかいゆうさんのインタビュー。僕は吉祥寺から井の頭線。急行の優先席に座って資料を見ていてそのまま寝てしまって気がついたら神泉。渋谷の手前の各駅停車が止まる駅ですね。
あれ、急行に乗ったよなと思ったら発車して、着いたのは東大前。反対方向。渋谷で起きなかったんですね。早めに出ていたんでインタビューは何とか終えましたかが。帰りも爆睡。気がついたら吉祥寺でした。
この間京都から帰った時も寝過ごしましたからね。寝過ごし常習になりつつあるのかもしれません。今日も渋谷で人に会った帰りの電車はそういう状態でありました。明日は午前中から大宮のNACK5本社スタジオ。またやりそうな予感(笑)。
笑ってるうちが花でしょうけどね。あちこちで山火事も起きてますし。日本の山ですよ。アメリカやブラジルというような自然が猛威を振るうような国じゃなかったはずなのにね。にも関わらず気候変動に無関心な大統領がいたりする。
ともかく早めに寝て体調を整えるしかない。お互い、お天気に負けない身体でいましょう。というような季節のご挨拶、になってないか(笑)。曲ですね。斉藤和義さん「ウサギとカメ」。札幌に椰子の木、沖縄に白い雪と歌ってます。いずれそうなるのかもしれません。じゃ、お休みなさい。
昨日行われました。2月に「シン・セルフカバーズ・怪物」を発売した泉谷さんのスペシャルライブ。場所は京都の四条の中心にあるライブハウス。開店は1974年。もとは日本酒の酒蔵だったという建物をそのまま生かしているという老舗中の老舗です。
泉谷さんはアルバムが出た時にFM COCOLOの「J-POP LEGEND CAFE」で一か月出演して頂きました。発売が、48年ぶりに復帰したフォーライフレコード。社長の後藤豊さんと3人でトークイベントも行いました。
僕より二歳下。あの頑張りには頭が下がると常々思ってますが何と3時間スペシャル。磔磔は座席が200席くらいかな。関係者面したジジイに見せる席の余裕はないでしょうけど、無理を承知でお願いしたらいいよ、ということで行ってまいりました。
3時間と銘打ちながら実際は3時間半。15分休憩がありましたけど、正味丸々3時間越え。熱演でした。客席も椅子がありましたし、彼も座って歌う曲もありましたけど声がすごかった。うなるように吠えるシャウト、それでいて哀愁がある泉谷節です。
バンドは元アナーキーのギタリスト、藤沼伸一さんと15年来一緒にやっているというドラムの板屋達也さんだけ。泉谷さんはエレキもアコーステイックも弾いてましたからギター2本とドラム。これがカッコよかったんです。
泉谷さんはもともとローリングストーンズのようなバンドをやりたくて音楽を始めた人ですからね。それとあのデイランの言葉を放り投げるような歌い方がミックスされている。ドラムの音量と激しいビートがそんな本性を呼び起こすんでしょう。
藤沼さんとは91年に下郎というバンドも組んでますからね。泉谷節も泉谷流も知り尽くしている。歌っている泉谷さんを見ながら演奏のタッチを変えたりする。ギターで盛り上げる術を知ってる。隙間だらけでうねっている。
そういう曲をロック色、パンキッシュな曲を選んでいたせいもあるんでしょうけど、泉谷さんがギターを弾きまくってツインギターで見せ場を作るのは新鮮でした。一心不乱に弾いている姿はギター少年そのものでした。
業界には泉谷しげるのギターは「弾く」のではなく「叩く」ものという言い方がありましたけど、そういう感じじゃないです。進歩してました。練習してるんでしょう。そういう前向きさが迸ってる。エネルギーの塊。刺激になりました。
3時間越えの全身シャウトですからね。後半は、見ていてそのまま失神でもするんじゃないか、と思う瞬間もありましたけど、「休ませろ!」と言いながら踏みとどまって次の曲に行く。客席も椅子はありましたけど、最後は総立ちでした。
客席の年齢もかなり高いですからね。気を使いつつの煽りが微笑ましかったり。ああいうサービス精神は若い頃には出来なかったでしょうね。酸いも甘いも知り尽くしている大ベテランだからこその味。根っからのライブ人間ぶりがにじみ出てました。
ライブハウスというのはこういう場なんだよなあ、と再認識させてくれる。成功へのステップとかじゃなくて、こういう空間にしか出来ないライブがあることを分らせてくれる貴重な存在。無理なお願いをして良かったと思いました。
このところ、妙にネガテイブな気分に襲われるんです。そろそろかなとか、もういいんじゃないの、とかどっかで声がする。吹きとばしてくれるライブでした。というようなことを昨日、帰りの新幹線の中で書いたんです。
でもね、消えたんですよ。コノヤロー!ですけど。新幹線のWIFIって時間で切れるんですね。それに気づかずに送信しようとしたらそのまま消えてしまいました。またやっちまった、というやつでしたが、後の祭り。
次は品川というアナウンスで慌てたのかもしれません。でも、勢いこんで書いてたから今日の方が伝わるかもです。というわけで、曲ですね。泉谷さん「翼なき野郎ども」。客席の「元野郎」が「野郎声」をあげてました(笑)。
新幹線でついてから乗ったJR中央線を寝過ごしてしまったんです。残っていた上り電車は何と最終。焦りました。この年で「終電なき野郎ども」にはなりたくありません(笑)。じゃ、お休みなさい。
FM NACK5「J-POP TALKIN’」の来週と再来週のオンエア。インタビューは先週行われました。自分で言うのも何ですが、いいインタビューでした。彼女の出演は一昨年の11月にアルバム「スナックJUJU・帰ってきたママ」が出た時以来です。
あのアルバムは去年の2月の東京ドームの「スナックJUJU」に向けたアルバムで彼女の中の歌謡曲愛が凝縮した一枚でしたけど、今回は先日5日に出た7年ぶり8枚目のアルバム「The Water」についてのもの。全曲についての話を聞けました。
面白いアルバムだったんです。面白いは変か。お笑いじゃないですからね。聴きごたえがある。アルバム一枚がトータルなストーリーになっている。全15曲。一曲目と最後の曲が「The Water」。なぜ「水」に惹かれるのか、何を託そうとしたのかが2曲で歌われてます。
と言っても一曲目はモノローグ。そこから出会いのときめきがあって曲ごとにストーリーが深まってゆく。春のような淡い恋心が高まる中で不信が芽生えてきたり。それに気づいてしまったり。更に抜き差しならない深みにはまっていったり。
飲み屋でべろんべろんになる曲があったりね。そういう紆余曲折の中で新しい強い自分として生き直してゆく。そして穏やかな関係が生まれてゆく。急流や激流、時には濁流だったりしながら静かな海に出てゆく、みたいな流れかな。
水のように流れながら変わってゆく愛の形と同時にそういう人生を送りたいという彼女の願いみたいなものが重なってゆく。全15曲、どれも微妙に歌い方や声が変わってます。繊細なハスキーボイスというところに留まってない新境地が聴けます。
彼女の歌い方で最初に惹かれたのは8枚目のシングルかな「素直になれたら」だったんですね。日本語なのに英語のような気持ちよさがある。こういう歌い方する人はあまりいないよな、と思った。それがもっと深みを増している。
どの曲も詞や曲が400曲くらいの中から選ばれると言ってましたけど、そうい作り込み方をしてるからこその細やかなアルバムになったと思えました。そんな話はオンエアでお聞きいただけたらと思います。
去年が20周年。年々自由度を増してゆく。豪快な姉御笑いも随所に飛び出します。テレビじゃあそこまで話を聞けることはないでしょう。ドームをやって紅白に出るとラジオは卒業、という人は多いですけど、楽しいインタビューになったと思います。
アルバムの中の異色の一曲。平井堅さんが詩曲を書いた「ぐらぐら」という曲を。酔っぱらってお店の階段を降りるのが危ない、という酩酊ソング。平井さんが書いた前作「かわいそうだよね」の飲み屋編という感じでしょうか。
「かわいそうだよね」というのは、周りのうだつの上がらない女性を「あの子、かわいそうだよね」と上から目線で見ていた売れっ子のファッションモデルか女優さんが何年後には自分がそうなってることに気づく、という歌なんです。
業界の裏側、虚栄の市の虚しさ、みたいなものを歌ってる。JUJUが見事に語り部になってる。彼女の独自性が際立ってる曲でもあります。というわけで、曲はそのどちらか。男性にとっては「ぐらぐら」の方がいいかも、です。じゃ、お休みなさい。
目下、ヒット中、話題沸騰のアメリカ映画。ボブ・デイランの若き日を描いたものですね。前評判が良かったですから楽しみにしてたんですが、期待に違わなかった。想像していた通りでしたけど、ここまでとはと思いませんでした。
ミネソタ生まれのデイランが敬愛するフォークソングの父、ウデイガスリーが入院したことを知って病院に見舞いに行くところから始まる。フォークの新星として爆発的な人気を得たもののそこに満足せずエレキギターを持つてロックをやり始める。
60年代の音楽だけじゃなく戦後のロック史の劇的な転機になった瞬間を丁寧に描いている見事な音楽映画。何がすごかったか。一にも二にも主演のテイモシー・シャラメという若者が素晴らしかった。
顔はそっくりさんという感じじゃないんですが、歌は驚きました。ここまで感じを出せるんだと思った。声にしろ歌いっぷりにしろ本物に聞こえる。どこが違ってるとかどこが似ているというようなことより、ともかくデイランなんです。
歌と声と表情と動作。もちろん僕らはその頃のことは写真や数少ないドキュメンリーでしか知らないわけですが、そうか、こういう感じだったんだなと納得させてくれる。共演者もそう。ピート・シーガーとかジョーン・バエズとか実在の人達です。
みんな音楽の歴史に残る個性の持ち主ばかり。コンサートシーンも多い。役者さんで出来る映画じゃないでしょうし。彼らの歌もミュージシャンの演奏にも偽者感がない。舞台になったニューヨークの街並みも60年代当時を思わせる。
ここから追加です(笑)。昨日。嫌味になるかなと思って書かなかったのですが、書き込みの中にデイランのアルバム「フリー・ホイーリン」のジャケットについてどう思ってたかというようなくだりがありました。よくぞ聞いて下さいました、という感じです(笑)。
若き日のデイランが恋人と一緒にグリニッジビレッジを歩いている写真ですね。俯き加減のデイランと腕にすがるような彼女。20代前半という年齢があんなにフォトジェニックに表現されているジャケットは他にないでしょう。
恥ずかしながら憧れてました。あんな風にマンハッタンを歩いてみたいと思ってました。実現したのはもっと時間が経ってからですけど。浜田さんのファーストアルバムの裏ジャケットに同じような臭いを感じたんですね。(ここまで追加)。
で、デイランが評判になったニューヨークのライブハウス、フォークシテイは、81年に小室等さんが拓郎さん、陽水さんと一緒にやった「ニューヨーク24時間漂流コンサート」の時に僕も行ったんです。こういう感じだったなあと思えました。
ハイライトが65年のニューポート・フォークフェス。デイランがエレキを持って登場して大ブーイングを浴びるステージです。それまで別な流れだったフォークとロックが一体になったフォークロックが誕生した瞬間です。
当時のフィルムを使ったドキュメンタリーは見てますし、その頃のことを書いた本は沢山読みました。でも、実際にそこにいるように思えたのは初めて。そういう意味での再現映像。タイムマシーンに乗ったような音楽映画でした。
デイランがいなかったら、ロックはどうなっていたでしょうね。ジョンレノンがデイランに出会って変わったという話は有名です。「ニューミュージック」というのは「ビートルズとデイランの影響で生まれた新しい日本語の音楽」と定義していいでしょう。
岡林さんも拓郎さんも浜田さんも佐野さんも誕生してなかったと言って過言じゃないでしょう。そう思いながら見て頂けるとまた違うリアリテイもあるでしょう。でも、マニアックにも下世話にもならない映画としてのまとまりは見事でした。
ということで曲です。浜田さんの「初恋」。歌詞の中の「Bringin It All BackHome」はフォークロック誕生の歴史的アルバムのタイトル。あの中の最後の曲が「エレキ」を拒否されたデイランがアコギで歌った曲です。じゃ、お休みなさい。