NACK5「J-POP TALKIN’」の10月9日からの4週間ぶち抜き企画。メンバー4人リレーインタビュー。後半の収録をしました。後半はHISAHIさんとTERUさん。二人に会うのは3年前のアルバム「FREEDOM ONLY」以来。元気そうでした。30分番組ですからね。あっという間でした。
改めて思ったのが話がうまくなったなあ、ということなんですね。TAKUROさんは別として、デビュー当時は自分の思ってることを伝えるのが決して上手なバンドとはいえないタイプだったでしょう。もうそういう感じは皆無ですね。TERUさんもBAYFMの番組は25年くらいやってるのかな。HISAHIさんもFM FUJIでレギュラーを持ってました。
そうやって話しているうちに饒舌になってくる。そうやって成長してゆくわけですけど、キャリアを重ねれば重ねるほどラジオを大切にしてくれる人たちとそうじゃない人たちの違いがはっきりしてくる。何となくですけど「紅白」と「東京ドーム」が分岐点かな。必要がなくなるんでしょうね。
だから冷たいとか寂しいとか言ってるわけじゃなくて、そうやって大きくなってゆくんだということくらいは重々承知しているわけですけど、大きくなっても出てくれるという人たちに対してはほんとにありがたいなあと思うわけで、今回も改めてそういう気持ちになりました。
GLAYを初めて取材したのは、96年の3枚目のアルバム「BE LOVED」の時ですね。媒体は「パチパチ」か「毎日新聞」のどっちか忘れましたけど。その前の「BEAT OUT!」の時も話があったんですけど、氷室さんの取材でロスに行くことになってたんで日程が合わなかった。後付けですけど、それも偶然じゃない感じですね。
どこに惹かれたかは簡単ですね。曲が良かった。YOSHIKIさんのレーベルからのデビューでしたし恰好は見るからにビジュアル系でしたからね。そういうイメージを持っていたんですけど、そうじゃなかった。ギター一本で作ってると思えるあったかいメロデイーが新鮮だった。
そこからの活躍は説明の必要もないでしょうけど、沢山取材させてもらいましたからね。ソロアーテイストでは拓郎さんと浜田さん、バンドでは甲斐バンドとGLAYがそういう存在になりましたね。でも、バンドの魅力という点では群を抜いてましたし、90年代後半から2010年代にかけては沢山楽しませてもらいました。
20周年が近づいた頃から彼らが「デビュー30周年」という言葉をしきりと使うようになってたんです。でも、バンドは若い人たちが書くものと思ってましたからね、「その頃はもう俺はいないだろうな」みたいに思ったり。30周年のアルバムでしかも自分の番組でというのは感慨深かったです。
終わってからそんなことを思い出しながらのインタビュー。明日、JIROさんとTAKUROさんのインタビューの完パケです。というわけで、アルバム「BACK TO THE POPS」から「Beautiful Like You」を。TERUさんの成熟ぶりが伝わってくる曲です。じゃ、お休みなさい。
何の話をするつもりなんでしょうか(笑)。ここは音楽ブログということになってますが、と言ってそれに縛られるわけでもないですし、たまにはこういう話も書いてみたくなるという程度の話です。でも、その割に大変なことでもあります。
抜けたんですよ。それも先月から立て続けに奥歯に入っていた2本が抜けました。原因は、両方とも硬いものを噛んだはずみですね。その時はあれ、動いたなという感じで、その後、力を入れて噛むと背筋が伸びるように痛むようになりました。
最初は7月の終わりか。その時は抜けてはいなくて歯医者さんに行ったら、そういう時のブラッシングというのを教わって何とか痛みが治まってたわけですが、ある日、ブラッシングしようと思ったらぽろっと抜けてしまったんです。
今回、二本目もそうですね。一本目が抜けてしまって代わりに部分入歯を作りましょうと型どりをしたのが先週ですよ。それが出来る前にもう一本も抜けてしまいました。あれ、こんなに簡単に抜けるんだ、と半ば拍子抜け。呆気に取られるような感じです。
インプラントというのは金属の柱を骨に打ち込んでそこに歯をかぶせるわけですね。もう入れて10年以上経つわけで、本来なら骨に同化し始めてないといけない。だから辺永久的と言われるわけですが、そうなっていなかったんですね。
今までは歯茎がしっかりしてたからちゃんと埋まってなくても取れなかったものが、年齢もあって歯茎が退化して弱ってしまった。木の根元の土が減ってしまって根がむき出しになってちょっと風が吹いたら倒れてしまったという感じでしょうか。
インプラントは誇大広告みたいなものもありますからね。しかも費用がかかるんでお医者さんはやりたがるわけです。でも、熟練したお医者さんならいいのですが、そういう技術の未熟な人がやるとこうなるという見本みたいな例でしょうね。
古い、古ーい話なんですが、十年以上前に、つま恋で拓郎さんの展示会があったんですね。2009年の最後の全国ツアーがなくなった後ですね。カメラマンのタムジンの写真を使ったトークイベントでした。
あの前に近所のお医者さんで入れたのがこの2本だったわけです、そのお医者さんが一度失敗してその時も頬が野球のボールを入れたみたいに腫れあがってしまって口が開けなくて、筆談イベントにした、という曰くつきの歯でした。
抜けてしまったインプラントを見ながら「あの時の歯だよなあ」と妙にしみじみとしてしまいました。その時のことはここに書いたような記憶もあるんで後で調べて追記しておきますね。記憶の一部と別れを告げた、ということになるんでしょう。
色んなことが終わって行ったり、遠ざかって行ったり、縁がなくなって行ったり。78歳というのはそういう年なのかもしれません。でもね、インプラントは万能でも永久的でもないということは頭に入れられた方がいいかもしれません。
という健康談義でした(笑)。奥歯がないわけで、滑舌が厄介で笑ってる場合じゃありませんけど(笑)。というわけで曲ですね。9月23日は2006年の「つま恋」の日でした。みゆきさんと歌った「永遠の嘘をついてくれ」を。じゃ、お休みなさい。
今見たら2010年でした。この日、いらっしゃった方、お元気なんでしょうか。
NACK5「J-POP TALKIN’」の次のゲスト。10月9日に17枚目のアルバム「BACK TO THE POPS」を発売するGLAYのインタビュー。アルバム発売日が番組の放送日なのでそこから4週ぶち抜き。今日、前半二週分が行われました。
4週というのはもちろんメンバー4人が交互に登場するわけです。それぞれの選んだ4曲を中心にアルバムを語るという企画。3年前、前作アルバム「FREEDOM ONLY」の時の形が好評で今回も踏襲してみました。
今日収録したのはJIROさんとTAKUROさん。TAKUROさんは、二年前にソロアルバヌ「The Sound of Life」が出た時にFM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」に4週間出て頂いたのでそれ以来、JIROさんは前作アルバム以来、久々でした。
これはもう彼らの人柄としか言いようがないでしょうけど、3年空いても2年空いても変わらない。変わりましたね、という印象がない。インタビューや取材で会った誰もが口をそろえて「いい人たちですね」というのはデビュー以来でしょう。
デビュー30年経っても変わらない。意識してそうしようという次元じゃない。そういう空気はTHE ALFEEと共通すると言っていいでしょうね。というかこれだけ長い間変わらないのはその二組しかいないと断言できそうです。
片や50周年ですけど、GLAYもきっとそうなるんでしょう。アルバム「BACK TOP THE POPS」は読んで字のごとし。「POPS」に回帰する。アルバムの中には出ビュー当時からあったと思わせる曲や世に出なかったと思われる曲もあります。
TAKUROさんは、なぜそうなったかを簡潔に的確に話してくれました。自分たちの作品だけでなく、この30年の音楽状況、時代の流れなども踏まえながらあんなに論理的に音楽を語れる人は少ないでしょうね。
リーダーとしてバンドをどうかじ取りするかという冷静さと友人としてのメンバー想い、そしてソングライターとしての創作意欲と作品論。色んな面での魅力に溢れた人物。全体像は年々大きくなっている様で驚かされることばかりです。
番組は10月9日と16日、後半の二週は来週の収録です。というわけでアルバムのリード曲「さよならはやさしく」を。今だから書けたバラードと言っていいでしょうね。TAKUROさんもそういう話をしてくれました。じゃ、お休みなさい。
昨日と一昨日ですね。浜田省吾さんのファンクラブツアー「100%FANFANFAN2024・青の時間」の初日が行われました。昨日、書こうかと思ったりもしたのですが、終わってそのまま帰ってからはやっぱりしんどかったです。
でも、高崎、近くなりました。新幹線を使えば1時間半程度。横浜と変わらない。o大宮と横浜なら距離的にも同じくらいでしょうけど、高崎ですよ。群馬県。それなのにそんな時間でついてしまう。便利になりました。
という話はおいておいて。ライブ、実に面白かったです。もちろん初日が終わったばかりですから内容には触れませんけど、どんな風に面白かったかはお伝えしたいなと思いました。そう、これぞファンクラブツアーだったんです。
ともかく選曲が通常のツアー「ON THE ROAD」とは全く違った。浜田さんのことをずっと聞き続けている人に向けられている。聴いている人たちがこういう曲は知っててくれるだろうということが前提になっている。
どんなファンクラブツアーでも通常のツアーではやらないようなレアな曲が選ばれるということは知ってましたけど、中には懇親会のようなライブという例もあるようですけど、そういう感じじゃなかったんです。
「青の時間」というのは90年に発売になったアルバム「誰がために鐘は鳴る」の中の曲ですね。その頃はレコーデイングの環境もアレンジも今と全く違います。そういう時代の曲を、今のあの最強のバンドの音として演奏する。
中にはこういう曲になるんだと驚かされるものもあったり。ライブでこの曲を聴くのははいつ以来だろうと思わされる曲が思いがけない流れで並んでいる。あの頃の曲をやっているという感じじゃないわけです。
そういうレアな曲をどうバンドの曲にするか。今の浜田さんの歌にするか。普通のツアーのように知名度のある曲を入れながらライブを盛り上げるという選び方をしてない。それより普段聴けない曲をじっくり聴いてほしいという意図が伝わってくる。
さすがファンクラブと思ったのは、そういう曲を客席がじっくり聞き入って一緒に歌っている。こんなに深いところで繋がってるんだと思わされる。レア&デイープでした。代表曲は知ってます、程度の観客もいるコンサートではああはならないでしょう。
ファンクラブ、畏るべし。こんなにメデイア露出のないアーテイストがどういうファンに支えられているか、再認識させられました。まさにファンクラブ会員あってのツアー。ともかく面白かったです。
どんな曲が聴けるのか。とっくにおやりのことで今更でしょうけど、予想をして臨まれると楽しいのではないでしょうか。というわけでタイトル曲「青の時間」を。じゃ、お休みなさい。
78歳になりました、ってだから何だ、またひとつジジイになっただけじゃねえか。というようなことは言いませんが、って言ってるじゃねえか(笑)。誕生日ですよ。年々ちっともめでたくなんかないよ、という憎まれ口でも言って見たくなるわけです。
冷静に考えればここまで元気でいられるんだから改めて生まれてきたことを噛みしめようという気分はありますし、むしろ友人の誕生日についてはそういう気分が強くもなってるのに自分のことはいいや、みたいな感じです。
何でしょうね、この淡々とした感じは。78でも79でも大差ないし、残りが少ないことには変わりがない。一年一年が重くなってくるというのと反面、どんどん軽くなってゆく自分もいる。諦めがついてくる、というのが一番的確かも知れません。
どんなに頑張っても終わりは来るわけだし、じたばたしてもしょうがないし。これだけやればいいかな、みたいなことをいくつ見つけられるかでしょうし。欲張っても出来ないことは出来ない。というようなことを考えてゆくと、健康ならいいか、と。
そう、それだけあればいいんでしょうね。幸い、明日、FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」の9月後半の「大貫妙子特集」の3週分の収録があって、一昨日から仕事場にほぼこもって彼女のアルバムを聴いたり、映像を見たりしてました。
大貫さんのインタビューは20年ぶりくらいでしょうし、聴いてないアルバムも知らないことも沢山ある。どういう話を訊くか自分用の台本を作らないと心もとない。NACK5「J-POP TALKIN’」のようなぶっつけというわけに行かないんです。
そういうプレッシャーは強いですよ。年々強くなる。記憶力も反射能力も衰えてるんで、一回読んだ資料は頭に入ってない。あの曲はどのアルバムだっけとかあの曲のアレンジは誰だっけとか、何度繰り返しても忘れてる。
これで大丈夫かなと思ってもその場に行くとだめ、とかね。そういう怖さですね。音楽は好きだし、聞いてれば色んなことを忘れるのに、インタビューというプレッシャーは重くなるばかり、というようなことは誕生日に書くことじゃないか(笑)。
それにしてもねえ、78ですよ。信じられない。想像できます?でも、80までは何とか、と思うようにはなってます。そこから先は考えてません。後2年か。2年前は76才。今より仕事してました。もうあんなには出来ません。
あと2年。すぐに来るんだろうなあ。そうやって考えると昨日も今日もやることがあるというだけで幸せなんだろうとは思います。結論でーす、幸せな78歳の誕生日でした(笑)。そう、問題はこの暑さ。来年もこんなに暑い79歳になるんでしょうか。
熱い79歳はありないでしょうからね(笑)。高熱の79歳にならないことを祈りつつです。お気遣いありがとうございました。南海地震、心配でしょうが、くれぐれも対策を怠りなくです。何だかよく分からない誕生日になってます(笑)。
明日、大貫さん、3週分収録、明後日はNACK5「J-POP TALKIN’」の完パケを終えたらそのまま高崎です。浜田さんの初日。前回の高崎も猛暑でした。というわけで曲ですね。大貫妙子さん「若き日の望楼」を。じゃ、お休みなさい。