インタビューしたのは昨日ですね。FM NACK5「J-POP TALKIN’」の阿部真央さんの次のゲスト。3月29日と4月4日のオンエアです。その日、彼の2枚目のアルバム「多面態」が発売になります。
Tani Yuukiさんは、去年最も注目されたシンガーソングライター。一昨年に発売された配信シングル「W/X/Y」が再生回数約3億回を突破。去年、最も聞かれた一曲になりました。1998年生れの24歳。まさにZ世代のシンデレラストーリーになりました。
男性だからシンデレラは変ですけど、登場の仕方としてはそういう感じですね。彗星のよう、というより爆発的。僕のあの曲で知りました。最初に聞いた時に、いい曲だなあ、これ誰?という新鮮なインパクトがありました。
ボカロ系のシンガーソングライターにはないソフトなラブソング。ソウルバラードみたいでもリズムは跳ねている。英語のなめらかさがメロデイーと一体になったサビは色っぽくて心地よい。ヒットして当然という感じという印象の曲でした。
でも、2枚目のアルバム「多面態」は、あの曲の大ヒットの後に出るアルバムですからね。どんなアルバムなんだろうという期待の一枚。どんな若者なんだろう、と思いつつ色んな資料を見たり読んだりしてのインタビュー。面白かったです。
「W/X/Y」だけでは見えてこない色んな面が詰まったアルバム。タイトルの「多面態」というのはそういう意味ですね。「体」ではなく「態」。「体」は「静止」している感じですけど「態」はもっと能動的。「態度」みたいな意味も感じます。
アルバムを聞いていて色んな人が浮かんだんですよ。どんなバンドやアーテイストに影響されてきたかが見える。その中にRADWIMPSやBUMP OF CHICKENNがありました。そういう「感じ」じゃなくて、そのものでありました。
え、と思ったのは、RADWIMPSが2018年にNHKで放送した「18祭(フェス)」に参加していたということでした。毎回一組のアーテイストと全国1000人の18歳が集まってパフォーマンスするという番組ですね。
その時に歌った曲「万歳千唱」は、アルバム「ANTI ANTI GENERATION」に収録されているんですが、RADWIMPSは2006年のアルバム「RADWIMPS4」からゲストに出てくれていてその時も「18祭」の話を聞いてました。
自分が好きだったり好感を持っていたりしたアーテイストの名前が出てきて、その人たちに影響されていると分かる。そういうことを知らないで聞いてるんで、そういう時、「あ、繋がった」と思うわけです。
ずっとそうでしたからね。尾崎さんもMr.Childrenが浜田さんや佐野さんを聞いていたとか、槇原敬之さんが尾崎さんが好きだったとか、h氷室さんの曲作りのきっかけが拓郎さんだったとかね。たまたま出会った人が実は同じ流れの中にあったと後になって知るんですね。
「W/X/Y」が、そういう曲だと思ってなかった分、「そうだったんだ」感は強かったですね。シングル一曲では見えない色んな面がアルバムには入ってます。まさに「多面態」ですね。これから楽しみな一人になりました。
というわけで曲ですね。アルバムのタイトル曲「多面態」。テーマは「声」です。じゃ、お休みなさい。
”のための取材”という言葉がその後に続きます。5月5日に公開される映画の会場で販売されるブックレットに原稿を書くことになって、その取材をしてました。僕も当日は会場にいましたが、35年前のことですし覚えてないこともある。
ましてや「映画」については改めて話を聞かないと書けません。単なる思い出じゃしょうがないですし。あのイベントがどういうものだったのか、今回の映画がどうして可能になったのか関係者に聞いておりました。
と言ってもブックレットですからそんなに沢山の方の話を聞いても入りきれない。町支寛二さん、監督の板屋宏幸さん、イベンターの伊神悟さん、そして、プロデユーサーの岩熊信彦さん。それぞれの立場から語ってくれました。
映画になる、と聞いた時に一番驚いたがそんな撮影してましたっけ、ということですね。以前、映像集の中に何曲かの様子が入っていたのは知ってましたけど、映画館でやるだけの規模で撮ってるとは思わなかったんですね。
なぜ、それが可能になったか。技術の進歩はすごいなあ、と実感しました。当時はフィルムですからね。35年経って劣化してないかを確認して、4K用に仕様を変えな色いけない。音と映像は別なんでそれを合せないといけない。
御覧になるとお分かり頂けますが、色彩感がほんとに自然なんです。アナログのフィルムだったからあの質感で再生できる。そういう技術的な説明を受けたり、当日の苦労話を聞いたり、そうだったんですか、の連続の取材でした。
カメラは13台。でもフィルムは一巻11分しかない。それが終わるとその場でフィルムチェンジをして撮影を続行しないといけない。曲の途中でフィルムが終わってしまうこともある。それをどう凌いだかとかね。
まさか、今になってあのライブを映画館で見ることが出来るとは思ってもいなかった。そんな感想も交えて書こうと思ってます。
渚園は、出来たばかり。場所に対してのノウハウを誰も持ってない。今だから笑える話とか色々ありました。まさか、今になってあのライブを映画館で見ることが出来るとは思ってもいなかった。そんな感想も交えて書こうと思ってます。
締め切りは来週です。締め切り、続いてますね。「ALL AREA」の「モンキーマジックとゴダイゴの夢」は何とか2月中に書きました。昨日はNACK5「J-POP TALKIN’」の阿部真央さんのインタビューと二本立てとなりました。
先月出た阿部真央さんの10枚目のアルバム「NOT UNUSUAL」についてのインタビュー。ガラッと作風を変えた傑作アルバムについて語ってくれました。明日は歯医者さんとソニーのコンベンション、こういうのも二本立てというのかな(笑)。
インプラントの周りが歯周病になってしまってインプラントを撤去しないといけない。場所が結構厄介らしく大学病院にお世話になります。インプラントは万能じゃないと思った方がよさそうです。
花粉症、ひどいです。目も鼻もぐちゃぐちゃ。何なんだ、今年は(笑)。というわけで曲ですね。浜田さんの「渚園」。何と言っても「僕と彼女と週末に」でしょう。あの模様を映画館で見ることが出来るとは、という一曲です。じゃ、お休みなさい。
1975年1月発売、タケカワユキヒデさんのファーストアルバム。あれから48年が経ったことになるんですね。雑誌「ALL AREA」で書いている「モンキーマジックとゴダイゴの夢」という連載を書いているところです。
連載が始まって3回目の記事。一回目は序章みたいなものでしたから実質2回目。一回目が「ミッキー吉野と日本のロック」でしたからね。二回目はタケカワさんより。「タケカワユキヒデと英語」というのが主なテーマ。
彼は1952年生れ。「ALL AREA」は同じ号に先日書いた浜田さんのツアーのドキュメントが載るわけですが、彼も1952年生れ。70歳になったばかり。同じ年。今までそういう比較はしたことがなかったんですけど、何かありますよね。
タケカワさんの生い立ちとか音楽体験、そしてプロになってゆく過程。更にデビューアルバムというストーリー。彼の父親はベートーベン研究で知られた音楽評論家。母親は日本のバイオリンの父と呼ばれた家系。名門音楽一家ですね。
そういう家庭に育ってビートルズに出会って英語の歌を作るようになった。アメリカに憧れて留学までしようとした。生粋の英語派。「走り去るロマン」も全編英語。でも、「英語」だったために売れなかったという悲哀も経験しました。
そういう中でアメリカのバーレー音楽大学を卒業して帰国したミッキー吉野さんと出会った。「走り去るロマン」の制作途中から参加。彼はミッキー吉野グループを組んでいたんですが、ソロの二枚目で作り出していた時にゴダイゴになりました。
ゴダイゴの一枚目「新創世記」はタケカワさんのソロとして作り始めたアルバムでした。二人を結びつけたのがジョニー野村さん。フラワートラベリンバンドがカナダに行った時の現地のマネジメントを担当してました。
彼の奥さんが奈良橋陽子さん。「走り去るロマン」の途中から入ってそれ以降のゴダイゴのアルバムを書くようになりました。一枚のアルバムに色んな出会いとストーリーがある。それを書いてます。
ゴダイゴは実績の割にそういう語られ方をしてこなかった。色んな発見があります。たとえば、アルバムを発売後にタケカワさんとミッキー吉野グループでロフトに出てるんですよ。下北ロフトと荻窪ロフト。76年ですね。
下北ロフトが76年2月。荻窪ロフトは76年4月。ロフト25周年で出た「ROCK is ROFT」という本が合ってロフト4店の全スケジュールに載ってました。驚いたのは荻窪ロフトはシュガーベイブの解散コンサートの次の公演だったんです。
シュガーベイブの解散コンサートは見てましたからね。でも、その二日後にタケカワさんがやっていたとは気づかなかった。まさか45年も経ってタケカワさんのことを書くようになるとは思ってもいなかったです。
ミッキー吉野さんがアメリカから帰国してミッキー吉野グループで出たのが74年の郡山ワンステップフェステイバル。そういう意味ではゴダイゴには「日本のロック」の軌跡が刻まれている。それを改めて掘り起こすのがこの連載の役割なんでしょう。
松本零士さんがおなくなりになって「銀河鉄道999」が頻繁に流れてますが、ゴダイゴにもう一度スポットが当たるといいなと思いつつ。明日は取材が二本あるんでお休みですが、待ったなしになってます。
というわけでタケカワユキヒデさん「走り去るロマン」から「HAPPYNESS(ぼくらのしあわせ)」を。ジョン・レノンみたいです。原曲はタケカワさんが17歳の時に書いたもの。詞は奈良橋陽子さん。じゃ、お休みなさい。
「あいましょう」と読むんですね。表記はカタナカ。”アイマショウ”。私がSHOWです、というエンターテイナーの心をくすぐるような名前。去年の12月に出来たばかり。南佳孝さんが松本隆さんの曲を歌うコンサートがあって、その時に行こうと思ってたら開演3時で行けなかったということがありました。
今日、初めて行きました。1月にNACK5「J-POP TALKIN’」でインタビューした藤巻亮太さんのツアーの初日。レミオロメン時代は何度も見てましたしオムニバスのイベントでは見てましたけど、ソロのワンマンは初めてでした。ソロ10周年ですから、10年以上ぶりということになりますね。
アルバム「Sunshine」を携えてのツアー。彼も5,6年ぶりと言ってましたからね。しかもずっと声が出せないライブしかなかった。自分でも興奮を抑えきれない様子がありあり。バンドも入れて20年やっててもそうなるんだなあ、と思いました。
ライブに行く回数は減ってますけど、インタビューした人のものは出来るだけ行こうと思ってるんですね。アーテイストが「アルバムはライブで完結する」という言い方をしますけど、インタビューもそうだと思ってるんです。アルバムの話を聞いてライブを見て着地するという感じですね。
で、「アイマショウ」ですよ。近いです。有楽町の駅前。マリオンのB館7階。マリオンの本体というのかな。A館というのか。映画館があるところ、あそこの11階にも「ヒューリックホール」という新しいホールが出来てますけど、あそこより少し小ぶり。
やっぱり便利ですよ。その前に原宿で一つ取材があってその後に行ったんですが、30分もかからない。帰りも駅まで2,3分。ビッグネームの人には小さすぎでしょうけど、新しい人とかそういう規模でやるのが好きな人とか、実験的なライブとか、これから人気になるでしょうね。
新しくできるコンサート会場はアリーナみたいな大きなところばっかりになってますからね。もう少し手軽に出られる会場がないとコンサートシーンの底辺とか新しい人たちが出てくる土壌にはならないでしょうから。
「80年代ノート」も「89年」にさしかかって後4回の原稿で終わりになるんですが、あの頃のバンドブームを支えたのがライブハウスとライブハウスにも出られない新しいバンドだったんですね。その受け皿が代々木のホコ天だったわけです。
89年デビューのTHE BOOMの宮沢さんの当時のインタビューを見てたら「ライブハウスにも出してもらえなかった」という話がありました。ライブハウスは当時の主流だった「縦ノリ」じゃないと相手にしてもらえなかった。自由にやれる場所を探していて「ホコ天」になった、と。
東京に今、そういう場所があるかなあ、と帰りのJRの中でボーっと考えてました。「I'M A SHOW」がそういう場所になるのか分かりませんが、至近距離でライブハウスとは違う音楽の楽しみ方が出来る会場はどんどん増えればいいのになと思います。
藤巻亮太さん、女性客が大半でした。バンド時代よりも女性の比率は多いのかもしれません。貴重なシンガーソングライターならではでした。ということで曲ですね。「ホコ天」の話になったところでTHE BOOMを。
あ、藤巻さんも同じ山梨だ。偶然です。呼ばれましたね(笑)。彼の中にも”山梨のエコロジー”みたいなものを感じます。デビューアルバム「A PEACETIME BOOM」から「星のラブレター」。初期の彼らで一番好きな曲でしょうね。じゃ、お休みなさい。
結構、空きましたね。今週は全然書いてなかったことになりますね。そうなんだ。そんなに空いたかという感じですね。夜になってバタバタすることが多かった。原稿の直しとか電話の打ち合わせとか。明日の準備とか。
みんな昼間忙しいんでしょうね。メールは入っていてもそれだけじゃ分からないことも沢山ある。結局、夜になって話をしたりしていると遅くなってしまう。寝る時間は大事ですし。そうすると書けない。書くことは色々あるわけですけど。
大阪で見た「歌縁」の東京公演が22日。一昨日か。みゆきさんの曲ばかり歌うシリーズコンサート。その日は無理でも昨日書こうと思っていたらやっぱり「80年代ノート」の直しが入ったりして、結局、今日であります、って言い訳が長いです(笑)。
で、増田恵子さん。元ピンクレデイ。大阪公演の時も書きましたけど、失礼な言い方ですが、まさか彼女の歌で涙するとは思ってなかったんです。主演者の顔ぶれを見た時、そう言えば彼女のソロデビュー曲「すずめ」がみゆきさんだったことを思い出しました。
今回の「歌縁」は多分、今までで一番バラエテイに富んでいたと言っていいでしょうね。出演者の顔ぶれも多彩。選んでいる曲はもっと意外。この人がこの曲を、そしてこんな風に、というオンパレード。
トップバッター、山本彩さん。脱アイドル。でも、歌うのはいきなり「空と君の
あいだに」ですからね。緊張したでしょうね。大阪ではHYの仲宗根泉さんでしたけど、東京は一青窈さん。歌とも語りともつかない「ファイト!」はすごかったです。
三番手がこれも意外なハンバート ハンバート。それぞれ3曲でしたけど、飄々としていてユーモラスなトークとは想像できない「タクシードライバー」。対照的にじっくりと歌い上げたのが半﨑美子さん。
半﨑さんの選曲もすごかった。「紅灯の海」「ホームにて」「Nobody is Right」ですからね。バンドと呼吸しながら歌っているような「紅灯の海」と「ホームにて」と一変したのが「Nobody is Right」でした。
「正義」なんてどこにもない。誰も「正義」なんかじゃないという、まさに今の世界の歌。それをクワイア。ゴスペルコーラスで歌ったんですよ。90年代にみゆきさんが「ファイト!」をゴスペルで歌ったのを思い出しました。あの時も泣きました。
その後に曽我部恵一さんがこれも「ばいばいどおくおぶざべい」「永遠の嘘をついてくれ」「化粧」という意外性も含んだ必殺選曲を聞かせてその後が増田惠子さんでした。当然の「すずめ」の後に「悪女」最後が「慕情」でした。
大阪もそうでしたけど、「慕情」が良かったんですよ。この曲を歌いたいと夢に見ていたという話もありました。でも、あんなに情感に溢れたスケールの大きい歌ですからね。それが彼女の歌になってたんです。
実感、でしょうね。”もう一度はじめから”というという願いが真に迫っている。やり直せないことを知ってしまってる人間の切なさみたいなものがにじみ出て迫ってくる。大阪で涙したんで確かめたかったんですが、やっぱり同じところで涙してしまいました。
声量があるとか巧みとかじゃない。その人の生きてきた時間とかそのことに対してのあらゆる想いが乗り移っている。歌ってすごいなあ、と思わされました。他の人が歌ってもそういう感情になる”曲の力”であることはもちろんですけど。
バンドですよ。高田漣さんが率いるバンド。ギター・ベース・ドラム・ピアノにストリングスとサックスだけ。シンセ関係を使ってない。控えめで抑制されていて、でも、生命力と情感が溢れてる。あのバンドあってこそのライブでした。
最後を締めくくったのが德永英明さん。最後に「時代」でしめくくった名曲三曲。さすがでした。で、もう一つ。詩人の最果タヒさんがみゆきさんの曲に合わせて書き下ろしを詩を須藤理彩さんが朗読する。コンサートに気品を添えてました。商業的なあざとさがありませんでした。
お客さんも温かったですね。70年代の曲が多かったからかな。よくぞこの曲を選んでくれたね、みたいな雰囲気が溢れていた。「さあ、歌って見なさい」みたいな上から目線がない。本人がもう歌わないだろうという曲を楽しんでる感じで会場一体のトリビュートライブでした。
「制作・FM COCOLO」というクレジットがありました。手前みそですけどこういうクリエイテブな放送局なんだという再認識。そこで仕事をしていることが誇らしかったです。一気に書きました。そろそろクラクラしてきますね(笑)。
曲ですよ。増田惠子さんの「慕情」。CD音源になるんでしょうか。じゃ、お休みなさい。