という本があります。書いたのは加藤登紀子さん。自分の歌にまつわる物語を綴った本です。これが面白かった。彼女のことは普通の音楽ファン程度のことしか知らなかったせいもあるんでしょうけど勉強になりました。
「運命のジグソーパズル」が発売されたのは4月20日。つい先日ですね。4月18日に「TOKIKO’S HISTORY」というベスト盤が出て、昨日、渋谷のオーチャードホールでコンサートがありました。それに合わせての出版ということになりますね。
アルバムは「ベスト盤」という体裁をとってますから、もちろんベスト盤なんですが、通常のベスト盤のようにヒット曲や代表曲が集められているわけでも、年代順に並んでいるわけでもない。なぜこの曲が入っているのかという意味がちゃんとある。
それを綴ったのが「運命のジグソーパズル」なんですね。章立てが「遠い祖国」「この世に生まれてきたら」「愛の讃歌」「百万本のバラ」「ひとり寝の子守唄」「あなたの行く朝」「時には昔の話を」「蒼空」という順。全部アルバムの中の歌の題名ですね。
「遠い祖国」では、生まれ故郷の満州と両親の話や敗戦後の必死の引き揚げ体験、更に帰国後の両親の仕事や人間関係。ロシア語を学ぼうとした父親が実は歌手志望で日本に帰ってからキングレコードのデイレクターだったとか、初めて知った話が色々ありました。
でも、すごいのは歌にまつわるエピソードですね。ロシア革命やフランス革命、第二次世界大戦やベトナム戦争、パリ5月革命、チェコの民主化革命や天安門事件、歴史のはざまで人々が求めた自由や平和。それを圧殺してきた巨大な力。その間でどんな歌が生まれたのか、を一つ一つ結び付けながら書いている。
しかも、文献や資料でそれを読み取ったり解釈したりするのではなく、自分でそこに行って歌い、作った人やその遺族に会うことで確かめてゆく。こんなに行動的で研究熱心な歌い手だということに驚かされました。
それも意図した出会いではなくて偶然だったりね。それが図らずも繋がっていたというような発見。それは見落としてしまったり関心を持たなかったら気づかないようなことなんですね。その歌が歌われた日がどういう日だったとかね。
昨日のオーチャードホールで彼女は「自分の始まりを歌う」ということで「1968年」をテーマにした曲を多く歌ってました。なぜ1968年だったのかは、この「運命の歌のジグソーパズル」に劇的につづられてます。
1968年。世界が激動していた年。ちょうど半世紀前か。さっき上げた中でパリの5月革命やチェコの「プラハの春」、東大や日大の全共闘に象徴される学生運動。アメリカのフラワームーブメントやブラックパワーもありました。
彼女はそんな中でソ連を40日間旅して身を持って体験するんですね。そこで出会った歌や人の話も出てきます。後にご主人になる藤本敏夫さんと出会ったのもその年だったという話もあります。
決して商業的とは言えない歌をなぜ歌ってきたのか。それでも彼女が揺るぎない支持を得ているのはなぜなのか。「運命の歌のジグソーパズル」と「TOKIKO’S STORY」は如実に示してます。
例え、「作者不詳」とされている歌にも作者がいるでしょう。誰がなぜその歌を作って、どんな人が歌ってきたのかを知ることは、その歌を改めてかみしめることでもあります。歌に説明は要らないというのも正論でしょうけど、あった方が深まるというのも正論でしょう。
加藤登紀子さん、明後日NACK5「J-POP TALKIN’」でのインタビューなんですよ。何度かご一緒してますけど、ちゃんとしたインタビューは初めてかもしれないんです。身が引き締まってますよ(笑)。
というわけで、曲ですね。「TOKIKO'S STORY」の一曲目「時には昔の話を」を。そういう年なんでしょうね。昔話もしないと忘れてしまいますからね。じゃ、おやすみなさい。
ご存じの方、どのくらいいらっしゃるんでしょう。「ヤング・ミュージックショー」。NHKのテレビ番組。71年から86年にかけて洋楽のライブやインタビューを放送してました。
まだロックのテレビ番組なんてほとんどありませんでしたからね。克也さんが「ベストヒットinUSA」を始めるのは81年4月です。MTVがスタートしたのはその年の夏。まだテレビと音楽の間には溝も壁もあった時代です。
しかもNHKでしたからね。全国放送でロックが流れる。71年の一回目がCCR。クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル。二回目の放送がストーンズ。69年7月のハイドパークのフリーコンサートでした。ギターのブライアン・ジョーンズがなくなった二日後に行われたライブですね。
というような番組のデイレクターが波多野紘一郎さん。NHKの青少年部に所属してました。彼のインタビュー。TOKYO FMの「Kei’s Bar」です。元は石坂敬一さんがおやりになっていた番組ですね。彼がなくなってしまって去年の3月から僕が引き継いでます。
”日本の音楽産業のシンボル的存在だった石坂敬一さんを軸に同時代を生きたミュージックマンたちのロマンや人となりを紡ぐ大人のトーキングスペース”というのが番組のキャッチです。
”ヤング・ミュージックショー”はそういう意味では同時代の洋楽ファンに最も支持されたテレビ番組でしょうからね。どういう意図で始めたとか、NHKがどういう対応をしていたのかとか、色んな話を聞いてみようと思います。
顔ぶれ、すごかったんですよ。ストーンズ、クリーム、ピンク・フロイド、スリードッグ・ナイト、ロッド・スチュワート、ボブ・マーレイ―、デビッド・ボウイ、エルトン・ジョンなどなど。まさに伝説の人ばかり。
事前の資料で81年の10周年の時の番組のDVDを見てたんですが、なんだか懐かしかったです。70年代、文化放送の洋楽の番組の構成もしてましたからね。情報も少ない中で動く姿を見ることが出来る貴重な機会でした。
最近、そういう話をすることがなくなってましたからね。ずっと日本のロックポップスばかり見てきたと思われていたりもします。CCR、好きだったなあとか、73年のストーンズのチケットをみんなで並んだなあとか。
置き忘れてきたものを思い出したという感じでしょうか。「Kei’s Bar」は、その頃の時代のレコード会社の重鎮のゲストとかが多いんで、色んなことを思い出したりするんです。何か忘れてきたかなあみたいな気分になるんですね。
後、そんなに残り時間があるわけじゃないですし、目の前のことだけじゃなくて、忘れ物を取りに帰るみたいなことをやるべきかなあ、とか思ったりもします。もちろん、ポップスやロックは今が一番面白いだけですけど、そういう時期なんでしょうね。
というようなことを考えながら。明日のインタビュー。NACK5「J-POP TALKIN’」の小林克也さんと二本立てです。二人とも僕より先輩。こういう日も珍しいです(笑)。というわけで、曲。洋楽かな。ストーンズ「Street Fighting Man」を。うーん、懐かしい(笑)。じゃ、おやすみなさい。
僕だけじゃないんでしょうけど、今年はひどいです。台湾にいた時は何ともなかったんですけど、帰ってからがその前にも増して大変になってます。目も鼻もぐちゃぐちゃ。目の方は二週間前に眼医者に行って薬をもらってきてますが、それでもしんどい。
鼻は最悪ですね。ポケットテイッシュが手放せません。マスクをするようにはしてるんですけど、それでも電車の中でつるーっと水が垂れてきたりする。あれはカッコ悪いですよ。誰かに見られたかと思わず周りを見てしまいますね。
夜も一応は対策を取ってるんですよ。寝る前に食塩水で鼻を洗ってますし、寝る時もマスクをしてます。初めはのどを守るためだったんですけど、今は鼻対策ですね。それでも夜中にくしゃみや鼻づまりで目が覚めてしまいます。
目が覚めるのは年のせいか(笑)。でも、周りの人が言う、何時に寝ても早朝に起きてしまうというようなことはまだありません。寝たり起きたり、うとうとしてままでそれなりの時間までは布団にいますからね。
それなりの時間、って何でしょうね(笑)。普通の人の睡眠時間程度ということかな。普通って7,8時間ですよね。何とか7時間は寝てますね。何はなくても一に睡眠、二に睡眠ということじゃないでしょうか。
寝ないと駄目なAB型という言葉もありますし。どこででも寝られるというタイプでもあります。電車の中で座ればすぐにうとうとですし、そのまま乗り越すことも珍しくない。カミサンは正反対。「いいわねえ」といつも呆れられてます。
学生時代の習性なのかもしれませんね。新宿の駅前とかで寝てたことがありますし。真冬に電話ボックスの中で寝たこともありました。山手線を始発から乗って何周も寝たまま回ってしまったとかね。ま、フーテンというやつですね(笑)。
電話ボックスなんてもうないか。電話帳を置いてある棚に腰をかけて、扉の下の方に足を延ばしてふんばって、頭をガラスにつけて”く”の字になって寝るんです。寒さはしのげました。よくあんなことが出来たなと思いますけど。何の話をしてるんでしょうか(笑)。
花粉症ですよ。おまけに昨日、今日は気温も低い。温度差でも過敏に反応してしまってます。そのせいじゃないんでしょうけど、原稿もはかどらないし。一日かかってJ-CASTニュースのコラムが精一杯。ほんとに自分がもどかしい。
頭が錆びてるみたいな感じ。指先もですよ。左手の手のひらを握ると指が戻らない。ばね指というんだそうです。何のばねでしょう。パチンコじゃあるまいし。あ、ばねでパチンコを思い出すこと自体が前世紀の人間ですね。
パチンコ、指ではじいてたんですよ、ってどうでもいいか(笑)。ぼやきだすと止まらないのがジジイの証拠。小林克也さんとザ・ナンバーワン・バンドについて書いてました。克也さん、77才。脱帽、敬礼です。
というわけで花粉症の歌、ないよねえ。くしゃみの歌。”くしゃみ三回、ルル三錠~”というCMソングがありました。三木鶏郎さんですね。CMソングの巨人、そして民間放送の父。そうだ、小林克也さんのインタビューを読んでたらトリローさんのことが出てました。
彼が始めた「スネークマンショー」は三木鶏郎さんが戦後にラジオでやっていた「日曜娯楽版」を意識したんだそうですって、かなり話が飛躍してますけどね。三木鶏郎さんも「日曜娯楽版」も機会を改めて。
曲はどうするんだ(笑)。「くしゃみ三回るる三錠」でいいか(笑)。鶏郎さんが作った時は、花粉症なんていう言葉はなかったでしょうね。現代病ということになるんでしょうか。じゃ、おやすみなさい。
と言っても御存じない方もいらっしゃるかもしれません。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」ユーミン特集の4週目のゲスト。ミュージシャンではありません。制作会社、オフィスオーガスタの最高顧問です。
言うまでもなく、杏子さん、山崎まさよしさん、元ちとせさん、スキマスイッチ、秦基博さん、竹原ピストルさんら個性派を擁している事務所。自分でインデイーズレーベルも持ってます。アーテイストの育成には定評があります。
もともとは杏子さんがバービーボーイズを辞めた時にソロの受け皿になることで始まった事務所。去年が25周年。設立したのが森川さん。キテイ時代にRCを育てたことでも知られてます。
「LEGEND FORUM」では清志郎さんを特集した時にも出て頂いてるんですね。TOKYO FMの「Kei’s Bar」にもお願いしてます。その時は石坂敬一さんの話を中心にしたオフフィス・オーガスタの話でした。
FM COCOLOの番組が元になった本「永遠のザ・フォーククルセダーズ・若い加藤和彦のように」にも番組では登場していない、書籍用の追加インタビューで出て頂きました。フォークルマニアなんです。ビートルズも、ですね。
というような方が実はユーミンマニアだった。知らなかったんです。3月17日の「SONGS&FREINDS・ひこうき雲」コンサートの会場にいらした。しかも、あの時の公演パンフレットにも登場されていた。
その話が面白かったんです。「ひこうき雲」の受け止め方からユーミンの歌詞の解釈。通り一遍で「ファンなんですよ」という次元じゃなかったんですね。へえ、そうだったんですか、ということもあってお呼びしようと思った次第です。
その前のゲストがJUJUですからね。彼女はユーミンマニアのアーテイスト代表、森川さんはミュージシャン、アーテイストに限らない音楽人、ミュージックマン代表という形でしょうか。面白かったですよ。
自分でもアーテイストになろうと思っていたミュージシャンでもあるわけで
ユーミンの曲のコード進行の話から詞の解釈。例えば、その曲に出てくる車は外車だというようなことを歌詞から推測したり。ほんとに好きなんだなと思わせてくれる話の連続でありました。
彼は去年、お父様を亡くされていて、身近な人の不在を身に染みて感じた時に今までと違う聞こえ方をするようになった曲とか、客観的な話だけじゃないリスナー心理みたいなものも出てきました。こういう人が制作者にいてほしい、と思わせてくれる、そんな話でした。オンエアは23日の月曜日。
最終週、30日は武部聡志さんの二回目の登場。いい締めくくりをしてくれました。充実の五週間になったと思います。ということで、曲。ユーミンの「スラバヤ通りの妹へ」を。彼が「若い世代に知ってほしい曲」として挙げてくれました。理由はオンエアで(笑)。じゃ、おやすみなさい。
台湾です。今朝4時起きして中華航空に載って、そのまま大学を訪問。色んな話をして一緒に食事をして大学がやっているゲストハウスに泊めてもらってます。何だか不思議な気分です。まだどうなるか分かりませんが、少なくとも今まで経験してないことが起きているという感じでしょうか。
この間も書きましたけど、台湾は戒厳令の時代が長くって、その頃の日本の音楽は全く紹介されてない。拓郎さん、陽水さんはほぼ誰も知りません。ユーミンもそうですね。みゆきさんはこちらの人がカバーしていることもあって少し知られてますね。
戒厳令は49年から87年。88年に解除されてそこからテレビドラマがどっと入るようになった。当時、CATVの世界で有数の普及度だったんです。「SAY YES」とか「ラブストーリーは突然に」とかですね。
それ以降の日本の音楽に対しての関心の高さは、ご承知のとおりです。ですから世代が若い。70年代、80年代の音楽をリアルタイムで聞いた人がいないわけです。というような話をしたり、日本の音楽の歴史の中でCDというパッケージがどういう意味を持ってきたかとかね。
そういう話を台湾の大学関係者と話していること自体が不思議な感覚になったりしました。文化交流ですね。今、日本と台湾は国交がないわけですけど、文化交流がどこまでその垣根を超えていけるのか、ということでもあるんだろうと思います。
何で国交がないか。ご存知ですよね。72年まではあったわけですけど、田中角栄さんが日中国交を回復した。その時に「一つの中国」にこだわる北京政府の意を受けて台湾と断交しました。
戦前の50年間、日本にとってアジアで最もうまくいっていた統治国が台湾だった。その後に中国の内戦で敗れた国民党が台湾にやってきて戒厳令を敷いてしまった。戦前の歌謡曲が歌い継がれているのはその頃へのノスタルジーもある。
今、中国はその原則を世界に押し付けようとしてますよね。台湾と友好的な国に圧力をかけている。そういう中国はコンサート一つやるにも政府の許可がいる。検閲を通らないとコンサートの曲も自由にならない。
台湾はその逆。音楽や映画、文化的な自由を自分たちのアイデンテイテイにしようとしている。少しでもそのサポートなればなあ、と思ってるわけですが、どうなるでしょう。
台湾のテレビ、すごいです。チャンネルが150以上ある。さっき巨人・DNA戦を中継してました。メジャーリーグの大谷選手のいるエンジェルスの試合もやってました。情報公開の島、というんでしょうか。
というわけで、明日の夜には戻ります。また、この話ができるようになることを願いつつ、です。小田さんの「ラブストーリーは突然に」。小田さん、台湾のコンサートで現地の人がこの曲を日本語で歌った時、ステージで泣いたというエピソードがあります。じゃ、おやすみなさい。
先月、腰をやってしまって行けませんでした。でも、先方が都合をつけて下さって、明後日に時間をもらえることになりました。飛行機が早朝なんで、明日、羽田近辺に泊まらないといけません。
台湾、何をしに行くんだと思われた方もいらっしゃるでしょうね。去年から時々、見え隠れしてますもんね。取材に行ったのが一昨年の6月か。向こうの音楽関係者に色々話を聞いて「毎日新聞」に短期連載しました。
その時もそういう話はあったんですけど、まだどうなるか分からなかったんです。その後、一旦頓挫してしまったりもしてました。でも、別の形でそれが実現しそうになってきてる、ということで伺うわけです、って何のことか分かりませんね(笑)。
簡単に言ってしまうと、CDの寄付なんですよ。家と仕事場にあるCDを台湾に寄付したい。あなたに何かあった時にこのCDはどうなるの、というカミサンの言葉が発端でありました。
日本の大学に寄付している方は結構いらっしゃるんです。でも、折角なんだから、もっと意味のある形はないかなあと思っていてふっと浮かんだのが台湾でした。日本の音楽に対してはとっても好意的という歴史的な背景もあります。
初めて台湾に行ったのは95年のCHAGE&ASKAのアジアツアーの時で、それから10数回は行ってます。どれも日本のアーテイストのライブです。その都度、親日的な空気を感じたりはしてきましたけど、そこから先のことはその頃は知りませんでした。
どういうことかと言うと、台湾は1949年から87年まで戒厳令が敷かれていて、その間、日本の音楽だけでなく海外の音楽や文化の情報は遮断されている。70年代や80年代、僕らが一番熱くなっていた時代のことはほとんど知られてない。
僕の持っているのはその頃の音楽が中心ですからね。もちろん、最近のものもありますけど、そういう音楽も配信、ネットで聞かれていて、CDは見たことがないという人が多いんです。
というようなことを色んな人と話していて、ある大学が受け皿になってもいい、と言ってくれているんですね。間に入ってくださっている方と一緒に話をしに行く、というのが趣旨なんです。
何しろ国交がない国ですからね。いろんな問題もある。まだどうなるか分かりませんけど、可能性はありそうです。台湾の学生や日本の音楽に関心のある人たちが自由に聞けるライブラリーみたいなものが出来ればなあと思ってます。
というわけで、随時報告ができるようになればいいんですけど、とりあえず。これも終活、ということでしょうか(笑)。曲ですね。アジアに最初に目を向けさせてくれた人たちの曲を。CHAGE&ASKA「太陽と埃の中で」を。じゃ、おやすみなさい。
先日ご紹介したFM COCOLO「LEGEND FORUM」の4月の「ユーミン特集」のゲストでした。一週目がアルファ時代のデイレクター、有賀恒夫さん、二週目が音楽監督の武部聡志さん、その次、三週目のゲストがJUJUさん。なかなか豪華な顔ぶれとなりました。
JUJUさんはユーミン・フォロワー、ユーミンマニア代表。先月17日に行われた「SONGS&FREINDS」の「ひこうき雲」コンサートでも出演してました。「ひこうき雲」の中から「きっと言える」、久保田利伸さんと「曇り空」、ユーミン本人と「リフレインが叫んでいる」を歌ってました。
どのくらいのマニアか。武部さん曰く、ユーミンのそれぞれの時代で少しずつ変わっている歌い方を全部同じように歌える、というくらい。それだけじゃないんです。自分の歌も全部ユーミン風に歌える。新曲が難しい時、ユーミン風に歌うとしっくりくるんだそうです。
自分の好きな曲を並べた私的なベスト盤リストを作ったことがあって、それを本人に見せたら「マニアックねえ」と呆れられたというエピソードもあるそうです。つまり本人公認のマニアということになります。
初めて聞いた時のこととか、ユーミンの曲から学んだこと、今も歌い続けている曲のこと、そして、ニューヨークに持って行ったアルバムとか、向こうで聞いていた時のこと。話が終わらない。いくらでも出てくる。
彼女は2月に新作アルバム「I」を発売したばかりで22日から自分のホールツアーもスタートするわけで今、リハーサルの大詰め。時間が出ないだろうなとダメになることを覚悟してたわけです。「ユーミンの話ならどこへでもゆきます」ということでした。
彼女の話のテンポはほんとに気持ちいいんです。江戸っ子みたい、というと変ですけど、気風がいい。さばけてる。ニューヨーカー風ということなんでしょうね。恋愛論も展開しているという面白い番組になりました。
ユーミンの話は詞を抜きにしては出来ないんですが、そういう話をできる相手もあまりいません。彼女は恋の仕方も大人の女としての立ち居振る舞いもユーミンの曲で学んだと言ってました。オンエアは16日です。是非、聞いてみてください。
というわけで、今日はお孫さんの小学校の入学式。参列しました。今の小学校はコンクリート。渡り廊下とかすのこがないことに時代を感じてしみじみしてしまいました。小学生生活に幸あれ、です。
曲ですね。4月11日、5年前のベスト盤「日本の恋と、ユーミンと」の続編「ユーミンからの、恋のうた」が出ます。代表曲じゃない名曲がたくさん入ってます。その中から好きな歌を。「青いエアメイル」。”時の流れに負けないの”というセリフが染みます。じゃ、おやすみなさい。
遅くなりました。もう始まってしまってます(笑)。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」4月の特集アーテイストはユーミン。昨日、一回目がオンエアされました。書いたつもりになっておりましたが、遅ればせながら。
一週目はアルファレコードのデイレクターだった有賀恒夫さん。荒井由実さんのファーストアルバム「ひこうき雲」から4枚目「14番目の月」までを担当された方です。デビュー時のユーミンの状況を一番よくご存じの方ですね。
最初は作家志望だった彼女が歌うということに対してどう思っていたのかとか、学生気分のままだった「ひこうき雲」からどんな風にプロになっていったのかとか、担当デイレクターなればこそ、という話が色々聞けました。
例えば、彼女のボーカルが最初は細かいビブラートがあった。それを直したのがデイレクターだった有賀さん。”鬼の有賀”と呼ばれていたそうですけど、彼の注文に対してユーミンがスタジオで泣いたというような話もありました。
昨日、終わってしまいましたが、明日の朝4時から再放送もあるんですよ(笑)。タイムフリーもありますし。是非。僕はタイムフリーで拓郎さんの4月1日放送分を今日、定食屋で遅い晩御飯を食べながら聞いてました。
拓郎さん、元気そうで何よりという放送でしたね。身体の方は色々問題あるけど、精神的なエネルギーは高まっている。やる気がある。一日の過ごし方についても話されてましたけど、穏やかな達観みたいなものもありました。音楽の話をしていると生き生きしてますもんね。
拓郎さんじゃなくてユーミンだ(笑)。タイムフリーで是非、ですね。5月は五週ありますからね。音楽監督の武部聡志さんが二回出てくれますし、思いがけないアーテイストも登場します。それは収録が終わってからね。みなさん忙しいんで飛ぶかもしれません(笑)。
竹原さんのインタビュー、面白かったです。丁寧で客観的で誠実で的確。紅白に出たくらいで何かが変わってしまうようなヤワなキャリアじゃありませんでした。彼はボクサーですからね。とってもフェアな試合を終えた後のような清々しいインタビューという感じでしょうか。
というわけで、曲ですね。荒井由実さん、アルバム「コバルトアワー」から「雨のスティション」を。青梅線西立川が舞台の曲。昔は米軍基地の金網が続いてました。じゃ、おやすみなさい。
NACK5「J-POP TALKIN’」のインタビュー。去年のアルバム「PEACE OUT」以来丸一年ぶりですね。新作アルバム「GOOD LUCK TRACK」が4日に出ます。発売日前日のインタビューということになりますね。
ひょっとして時間が出ないかなと思ってたんですよ。去年から今年にかけての一年は彼にとって激動以外の何物でもないでしょうからね。一躍注目された。その最たるものが紅白でしょう。格段に忙しくなってるでしょうし、ラジオどころじゃないと言われるかなあと。
そういうケースは珍しくないですからね。それはも良いとか悪いとかじゃなくて、紅白まで行ってしまうと、テレビの力を改めて思い知る事になるわけです。特にマネージメントや宣伝の人はそうですよね。
そうなるとやっぱりラジオは後回しになる。中にはどういう状況になってもラジオはやりますよ、と言ってくれる人もいますけど、そういう思い入れを持ってくれている人の方が少ないというのが現実です。
竹原さんは、その注目度の変化ではほんとに劇的なものがありましたからね。それでも時間を出してくれた。ありがたいなあと思います。新作アルバム「GOOD LUCK TRACK」は、そういう変化も踏まえたアルバムのように聞こえました。
この一年で何が変わって何が変わらないのかとか、改めて思っている自分の音楽とか、色々聞いてみようと思います。逆境にめげずに戦ってきた、日の当たらないところで身体を張って活動を続けてきた人がこんな風にスポットを浴びることができる。まさにドラマでしょうからね。
オンエアは4月の二週目と三週目、14日と21日です。というわけで、今日も昼間と夜の温度差が大きい日になりました。さっき帰ったら薄いコートがあってもひんやりしてました。ヒートテックを全部片づけてしまっていいのか、迷っております。
曲ですね。新作アルバム「GOOD LUCK TRACK」から「狼煙」を。”アンダーグランドから狼煙が上るぞ”という朗読です。じゃ、おやすみなさい。
昨日でした。そうなんですよ、ライブが終わって帰ってきて書くという体力がなくなっているんですね。メールを読んだり雑用をしたりすると後は風呂に入って寝るというくらいしか残ってない。情けないなあと思いつつ、です。
若い頃はこうじゃなかったと言っても始まらないですけど、ふっとそういう気分になることはしょっちゅう。その分、間隔が空いてしまうのかなあと思ったりしておりますが、そんなことを書くはずじゃありませんでした(笑)。
くるりのツアーファイナル、ZEPP Tokyo。面白かったです。これぞマイペースというかオリジナリテイというか。流行とも時代性とも一線を引いたような飄々とした頑固さ。それでいて堅苦しくないユーモアを備えている。
新しいとか古いとかだけじゃなくて、音楽のジャンルもこだわってない。フォーキーだったりダンサブルだったりレトロだったり。でも、しっかりバンドサウンド。重心は気持ちいいくらいに低かったです。
言い古されたことなんでしょうけど、それが京都なんでしょうね。東京的なものに対して迎合しない。それがどないしはったんですかー、みたいなどこ吹く風な感じ。こっちの方がはるかに古いんどっせー、みたいな。どっせー、で良いのかな(笑)。
地方出身のバンドが「東京!」という時の気負いが全然ない。脱力でもない。淡々と熱演してるという感じ。その辺がどこか漂白感にもつながっている。彼らの曲の中に70年代の漫画家、つげ義春的なものを感じたことがありましたけど、そこは変わってない気がしました。
今制作中のアルバムからの新曲もやってました。今年は4年ぶりのアルバムが聞けるかもしれません。というようなことを書いてますけど、そんなにちゃんと見てきたわけでもなくって、かなりアバウトな印象論であります。
京都的な曲者感というと京都の人に怒られそうですけど、一筋縄でいかないクールな反骨感みたいなものがとっつきにくさになっていたこともあるんでしょうけど、噛みしめれば噛みしめるほど、味が出るバンドだなあと思わせるライブでした。
というわけで今日から4月。結婚記念日でありました。絶対に忘れない日にしようということでエープリルフールの日。何回目かは、まいいか(笑)。ライブは失礼して都内のホテルで食事。こういうのはいつ以来だろうということになりました。カミサンも神経痛と花粉症に悩まされてますし、アニバーサリーも祝えるうちです。
曲ですね。くるりで「東京」を。都心の桜、もうかなり葉桜になってました。気分はユーミンの「経る時」、桜を見る老夫婦の気分ね(笑)。じゃ、おやすみなさい。