そうなんですよねえ。最近、ふっとした時に思うんですよ、猫のことを。今朝も久々にゆっくり寝ていたんですけど、そういう瞬間がありました。階段を上がってきたんだよなあ、という感じですね。腰痛持ちなんで、朝、軽いストレッチをするようにしてるんですけど、そういう時に、いつも上がってきてたわけです。
のそのそと上がってきて、横になっている僕の身体の右側にしばらく座っていて、それからおもむろに左側に移動して、気が済むとベランダのチェックに行くというのが、美也子とトミーの日課でした。いなくなってからしばらくはそんなに気にならなかったんですけど、今日は、「あれ」という感じでした。
城山三郎さんがなくなった奥様のことを書いた本のタイトルが「そうか、君はもういないのか」でしたけど、そういう感じかな。階段を上がってくるときの息遣いというか、床に爪が当たる音とか、「フニャ」という声にならない声とか、気が向くと人の手や顔をなめたりする感触とかね。
リフォームが一段落というか、終わったこともあるんでしょうね。先々週かな、二か月以上、家の周りを覆っていた足場も取れました。新築みたいな感じもあって、猫のことを忘れていたのかもしれせん。あの工事ムードが終わって、普段の生活に戻ったということなんでしょう。
でも、猫ですら、そういう不在感があるわけですから、家族と言うのはもっと強いでしょうね。奥さまとか旦那さまとか。お子さんとかね。交通事故とか、いろいろおありでしょうけど、そういう不在感はずっと付きまとうんだなと思います。脳死判定ね、って話がいきなり大きくなりましたが。
あれは難しい問題ですねえ。どっちが正しいのか、僕は判断しかねる感じです。脳死は人の死か。そうですね、とも言えるし、そういうことじゃないと思います、という気もします。ちょっと考えさせてくださいというのが正直なところですね。
でも、三匹ともいなくなってしまってから、前の家にいるデブ猫の態度が変わったんですね。今までは、「あいつらのオヤジだろ」という感じで、つっけんどんだったり、知らん顔していたのが、最近は、向こうから馴れ馴れしく寄ってくるわけです。あれは、もうお前んところはいないんだから、俺をかわいがってよということなのかな。
まあ、家がきれいになると、なかなか新しい猫を、という気分にはなりませんけど。三匹がつけた壁や畳の傷も消えてしまいましたし。まっさらな状態を、また汚すというのもなんですし。カミサンは、一時はその傷を保存しようと思ったようなんですが、リフォーム会社の方に一蹴されてました。
確かに、他がきれいになると、そういう感傷が入り込む余地はない感じでした。かと言って、段ボールは相変わらずですが(笑)。これは後一年くらいかかるかな(笑)。というわけで、数年ぶりに業界の友人と飲んでしまいました。かなり飲みましたね。
沖縄料理屋さん。泡盛品評会的飲み方。彼は50代半ばなんですが、会社勤めの残り時間をどう過ごすか。なかなか有意義でした。どうやら僕は、人のことを考えていると元気になる体質らしいです(笑)。その場で、沖縄に移住している友人の音楽評論家に電話をしてしまいました。
あー、沖縄行きたい(笑)。去年は、BEGINの「歌の日カーニバル」に行ったんですよねえ。今年は、うまくスケジュールが取れずに断念です。沖縄、もうすぐ梅雨明けですね。BEGINだな。「島人ぬ宝」を。じゃ、おやすみなさい。