すごいなあ、具体的すぎるかな(笑)。でもねえ、こんなこと隠していてもしょうがないし。最近は過剰な個人情報保護でPTAの連絡網すらないという地域もあるみたいですけど、それも困るでしょうね。僕は、父子家庭経験者として、あの連絡網に何度も助けられましたから、そういう状況をかなり憂いてます。
という話じゃないんだ(笑)。色んなことのあった一週間になってます。で、先週の土曜日に「J-POPマガジン」の後に、駆けつけましたよ。高校3年の担任を囲む会。会場になった中華料理屋さんがしまる直前駆け込み。そのあと、喫茶店に行って先生を囲みましたよ。
楽しかったのであります。やっぱり高校時代は良いなあと思いましたね。まあ、厳密に言えば、高校生活一般が誰でも楽しいわけじゃないでしょうから、”僕らの”という形容詞はつけないといけないんでしょうけど。楽しくない高校生活を送った方も多いでしょうから。
そう、よく「人生はそんなに悪いもんじゃない」という人がいますけど、それは、「その人はそういう人生を過ごすことができた」というだけで、そんな一般論は存在しないんじゃないかなと思ったりもしてます。という話も本題ではないですね。
楽しい高校生活だったわけですよ、僕らは(笑)。いろいろ話していて、あらためてそう思ったわけです。なんだか学園ドラマみたいな青春感があったのですね。極端な進学校でなければ、そんなに荒れた高校でもない。中央線沿線の共学の公立高校の良さというのかな。とか言っても地方の方にピンとこないでしょうが。
あるんですよ、中央線文化というのが。僕らの高校は三鷹・吉祥寺が地元ですからまさにど真ん中でありました。1960年代前半。学園闘争の前、「アメリカングラフィテイ」みたいなものでしょうか。牧歌的な青春エピソードがいろいろ思い出されました。
ちょうど東京オリンピックがあった時なんですね。学校をあげて甲州街道に応援に行くということになって、みんな日の丸を振るのに僕らのクラスの何人かは畳一畳の「オバQ」の旗を作って持って行ったり。僕の記憶では、学校に没収されたと思ってたら、持って行ってたんだ、しかも、そいつは僕の肩車の上で振ったと言ってました。
大した話じゃないなあ(笑)。それがどうした、で終わりそうですよね。でも、そういう他愛ないことに夢中になれた時代だったわけですよ。クラスで文集を作ったとかね。冬に校舎の一階と三階で雪合戦して、窓ガラスを割ってしまって、クラス全員で罰金を払ったとか。これも大した話じゃないな(笑)。
帽子をかぶってないことで一人が呼び出された時に、男子全員が無帽で登校したとかね、これも大したことじゃないか(笑)。でも、いいじゃん、そんなことに熱くなれたんだから。しかも、担任が女性教師だった。その頃は彼女も30代だったんですね。そして本気でぶつかってくれた。
僕は忘れてたんですが、みんな結構覚えていて、体育祭の仮装行列の時に「ある教師の末路」という看板をかけてリヤカーで浮浪者になったヤツがいたとかね。僕じゃないですけど(笑)。無邪気さとバンカラ的な生意気さがあったりしました。
卒業のアルバムで、クラスのアルファベットを人文字で作って集合写真を撮っているんですが、全員カメラ目線の中で男子三人だけそっぽを向いていて、その中の一人が僕でありました。今思えば、なんて子供っぽいんだろうと思いますけど、そんなことでいきがってたんでしょうね。
みんなと会えて嬉しかった。大学の時は生々しいことが一杯あるんで、そんなに無邪気にはなれないんですが。帰るところはあそこなのかなあと思ったりした次第です。で、今週も忙しいです。ライブはユニコーンの武道館が良かったです。彼らも遊び心いっぱいで青春してましたよ。
というわけで、今日の曲ですね。ユニコーンの「すばらしい日々」を。交流戦始まりましたね。パリーグの強さを見せつけましょう。じゃ、おやすみなさい。