昨日、これを書いて寝る前にハッと思い出したんですね。以前、「シンプジャーナル」という雑誌がありました。雑誌自体は89年に休刊という名の廃刊になってしまってるんですが、それから10年かな、区切りになる年に、アンソロジー的な抜粋の本が出たわけです。
その中に、僕が書いた1987年の長渕さんのインタビュー記事が再録されていたことを思い出したんですよ。で、何とか探し出して、それを読んでから寝たんですね。そのせいかは定かではありませんが、なかなか良い放送になったんではないかなあと思ったりしてる次第です。
例によって自画ジーサンと化してますが(笑)。そのインタビューは、1987年の「STAY DREAM」のコンサートの直前に行われたものでした。初めて生ギター一本で武道館をやった、あの時ですね。インタビューの内容が、その前の年の、体調不良でツアーを中止した時のことだったんですね。
1986年1月22日の武道館。彼は、その前のツアー中から体調を崩して、その日も病院から点滴を打って会場入りして、終わってそのまま救急車で運ばれていったという、文字通り命がけのライブでした。見ていてフラフラなのが分かりましたから。
僕の中の武道館史にも残る悲壮感溢れる劇的なライブだったんですね。そのまま入院になって、残りのツアーは中止。その闘病期間を経て、復帰する際のインタビューでした。20年前のインタビューなんですけど、その後の彼のありようが見えた気がしたわけです。
自分が強くならないと何も伝えられない。その決意が、その後の彼を作ったんだろうなと改めて思いながら、早朝の京葉線で居眠りをしながら、幕張に向かったわけです。でも、寒かったですねえ。急に天気の話しですけど、変わりすぎだって(笑)。
セーターを引っ張り出して着ましたからね。雨も降ってましたし。案の定、帰りの電車の中に傘を忘れました。これで今年何本目だろう。今日忘れた傘は、今年何本目だっただろう、なんていうタイトルの歌はないか(笑)。拓郎さんは「今度はいったい何回目の引っ越しになるんだろう」でしたけど。
でも、1987年が20年以上前になるんですからねえ。年は取るわけですよ。そうかあ、「BEAT CHILD」も「広島ピースコンサート」も、BOO/WYの「1224」も、みんなあの年か。うーん、感慨深い。話しは終わらなくなりますね。
というわけで、時間っすね。曲はやっぱり長渕さんかな。僕は、カミサンのお父さんが特攻隊の生き残りだったし、最近の彼について複雑に思うところもあるんですけど、この曲は好きです。「HOLD YOUR LAST CHANCE」を。じゃ、お休みなさい。