外は寒いですよ。雨が上がったせいもあって、温度が一気に下がった感じです。花冷えというのでしょうか。桜の開花が遅い年は、ちょうど今頃が、そういう時期なんでしょうね。さすがに、今日が最後という感じでしょうね。昼間は雨が降ってましたし。
そう、「あの娘の涙」って、何だか60年代歌謡ポップスのタイトルみたいでしょう。歌謡GSにありそうですけどね。「星はなんでも知っている」という歌があって、”夕べあの娘が泣いたのも”なんていう歌詞もありました。歌・平尾昌晃さんでした。
そんなシーンだったんですね。昼間、結構細かい寒々しい雨だったんですけど、僕の前を歩いていた女子高生が、傘も差さないで、濡れながらずっと歩いているんですよ。それも、濡れるのもお構いなし、ともかく歩いているしかない、みたいな感じでした。
僕も歩くのは遅い方じゃないんですけど、追いつかない。ちょうど同じくらいの早さだったんでしょうね。で、歩きながら制服の袖で涙をぬぐっているのが分かるんですよ。気になりましたねえ。桜並木だったし、雨に打たれた桜が、ハラハラ散っている中だったし、映画のシーンのようでした。
500メートルくらいかな。5分以上はそういう状態でしたから、もっとかな。後ろ姿を観察しちゃいますよね。傘がないわけじゃないんですよ。カバンと傘を持っているのに傘は差さないで、開かないまま手に持っている。で、袖で涙をぬぐいながら、ただひたすら歩いて居るんですよ。
何があったのかなあ。いじめでもあったのかなあとか、彼氏に振られたのかなあとか。途中で僕の方が道を曲がってしまって、それっきりなんですけど、妙に印象に残ってるんですよ。イヤホーンはしてましたから、音楽は聞いていたんでしょうね。何を聞いてたのかなあ。
殆ど余計なお世話でしょうけどね(笑)。でも、あの娘さんは、今日、そうやって聞いていた音楽は忘れないでしょうね。少なくとも、雨濡れるのも構わずに泣きながら歩いている時に聞いていた音楽ですよ。きっと、音楽に救われるのかもしれません。
そういうシーンで忘れないのは98年のGLAYの「puresoul」ツアーの取材で札幌厚生年金会館の客席で見た女の子ですね。髪の毛が腰まで雰囲気のある子で、聞きながらずっと踊っていたのに、「HOWEVER」になったとたんに、身体を折り曲げて号泣していたんですよ。
さすがに「何で泣いていたんですか」とは聞けずに、そのままになってしまったんですけど、あれも何の涙だったのかなあ、という感じです。と、ここまで書いて、いきなり思い出しました。今日はこんなことを書くはずではなかったんだ。
急に思い出すんですよね。もう、殆ど時間は残ってないのに(笑)。今朝の新聞で、中村一好さんがなくなったという記事が載ってました。都はるみさんのプロデユーサーで事務所の社長です。60才でした。急性心不全だったそうです。
新聞には、彼の制作した演歌のヒット曲が載ってましたけど、僕の中ではそういう人じゃないんです。演歌とフォークを結びつけた人。コロンビアで美空ひばりさんのデイレクターをしていた時期に、岡林さんとか泉谷さんを出逢わせている人なんですよ。
ちゃんと話したのはNACK5で「イムジン河」のドキュメントを作った時でした。都はるみさんが「イムジン河」を歌って居るんですが、そのことをキチンと話してくれました。僕のことも知っていくれて、恐縮した覚えがあります。
知的で穏やかで、それでいて痛みや悲しみを知った方でした。演歌の制作者の中で、シンパシーを感じる数少ない方でした。心からご冥福をお祈りいたします。というわけで、岡林さんの「月の夜汽車」を。美空ひばりさんの中野サンプラザに岡林さんが出た事を思い出します。じゃ、お休みなさい。合掌。
と書いて、一旦アップしたんですが、その後に「サンケイスポーツ」が、一好さんが首つり自殺だった、とすっぱ抜いているのを知りました。うーん、そうですか..。動揺してます。じゃ、改めてお休みなさい。