何の話しになるんでしょうね、このタイトルは。自分でも分かりません。昨日、「駄目だ、こりゃ」を植木等さんと書いてしまいましたけど、何となくいかりやさんみたいな気もしたんで、改めて並べてみた次第ですなんですが。どうなるでしょう(笑)。
クレージーは全く同時代なんですよ。10代の頃の愛唱歌の中にクレージーものはたくさんあります。カラオケで、メドレーになっているヤツがあるでしょう。いつだったか、みんなであれを歌ったときに、全部知ってましたからね。
思い出した。87年のオフコースのツアーだ。あの時「as close as possible」というツアー写真集を作ったんですけど、そこに原稿用紙150枚くらいの、ああいう本につける原稿としては長いルポを書いたんですね。かなり色んなところに同行したんだ。
その時にスタッフの間で流行っていたのがクレージーだったんですよ。何で、流行っていたのかは忘れましたけど。スタッフでありステージにも立っていたTさんが、大のクレージーファンで、移動日に飲みに行っては歌ってましたね。
で、その時も、僕も負けていなくって驚かれたことがありました。それはそうですよね。リアルタイムの10代ですから、記憶力が一番良いときで水ね。忘れないでしょう。青島さんはヒーローの一人でしたし。友達とガチョーンを廊下でやった口です。
クレージーは、渡辺プロの功労者なんですよ。元々はキューバンキャッツと言っていて進駐軍のキャンプを回っていたジャズバンドでした。でも、合間にやる即興がおかしくて、兵隊にお前らクレージーだ、と言われたところから名前が付いてと言われてます。もちろん、その頃のことは知りませんけど。
進駐軍、だって、すごいね(笑)。もう何じゃそれ状態でしょうね。米軍基地のことですよ。彼らは日本に進駐していたわけですから。渡辺プロというのは、米軍基地にミュージシャンを送り込んでいた美佐さんと、そこで演奏していた晋さんの出会いで生まれたんですよね。
日本のテレビ番組の草分けとなった「大人のまんが」は、クレージーのために作られた番組でした。渡辺プロがテレビに進出するきっかけになった番組です。日本のレコード史での”原盤第一号”というのも、植木さんの「スーダラ節」なんですよ。
ま、そんな話しに興味のある方は、ワタクシの「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)を是非、お読み下さい、プロモーションですね(笑)。で、ドリフですよ。クレージーと共通するのは、共に立派なミュージシャンだったことでしょうね。
ドリフがビートルズが日本に来た時にオープニングをつとめたバンドの一組だったという話しは有名ですよね。そうじゃなければ、そんな大役は果たせませんよ。ハナ肇さんといかりや長介さんという厳としたリーダーがいたことも似ているでしょうね。
笑いの質という意味ではクレージーの方が最後まで音楽よりだったということかな。ドリフは音楽的なアドリブの面白さよりも作り込んだギャグに向かいましたもんね。あれは今見ても面白いですよね。CSチャンネルで時々特集してますけど。
もう、ああいうグループは出てこないんでしょうねえ。クレージーみたいなミュージシャンが出てくることはあっても、あの頃のテレビのような媒体との関係は望めないでしょうけど。もし、あるとしたら、携帯とかネットとか一媒体に特化した形では出るかも知れませんけど。
ドリフの方がもう出ないでしょうねえ。テレビ自体があんなに作り込む余裕をなくしてるでしょうし。笑いの質が変わりましたよね。と言っても、またそういう方に揺り戻しが来るかも知れませんが。「全員集合」みたいなお化け番組はもう出ないでしょう。
評論家っぽいっすね(笑)。勿体つけたこと言っているようで、どうでも良いことばっかり(笑)。でも、こういうのって書いてて結構楽しいんですよ。と言いつつとっくに時間になってますね。延長戦に入ってるね。オシムさん、元気そうでしたね。復活おめでとうです。ハンドボールは残念でした。
あ、RADWIMPSの「オーダーメイド」、今週のオリコンチャート一位でした。ビックリですね。時代は変わってるわ。今週の「J-POPマガジン」ではそんな話しも出るでしょう。明日は「モザイクナイト」。”今夜はとことん真冬のハワイ”です。
腰は、重いけど何とか持ってます。そんなわけで、曲は、何だ。やっぱりクレージーかな。植木さんで「これが男の生きる道」を。”帰りにかーあった福神漬けで、一人さみしく冷や飯喰えば”という歌詞ですよ。わびしいねえ、男は。泣けてくるわけっす。じゃ、お休みなさい。