彼のことを書くんで、新編集されたベスト盤を聴いてました。何だか久しぶりに聴きましたよ。というよりあんな風にじっくり聴いたのは初めてかもしれません。いや、聴いたことは聴いていたんでしょうけど、聞こえ方が違ったという方が確かかも知れません。
と言ってもやっぱり70年代はあんまりしっかり聴かなかったでしょうね。実を言うとインタビューをしたことがなかったんですよ。何でかな。彼は関西が主であんまり東京のメデイアには出てこなかったということもあったんでしょう。どうかなあ、僕が縁がなかっただけかな、そっちでしょうね。
今思えば、ですけど、当時、拓郎さんぽいと言われた人は案外逢ってないんだなあと思ったりしました。第二の、とか、再来、とか、ポストとか、色んな枕詞がつきますよね。河島さんも、そんな例えられ方があったような気もします。それだったんだろうな。
きっと、拓郎さんの好きな方にはお分かり頂けるんでしょうけど、第二のとか、再来、とか言われると返って頑なになってしまうんですよね。だったんですよね、か。浜田省吾もそうですね、そう言えば。「浜省ぽいんですよ」とか言われると、妙に構えたりしてました。
何人かいましたよね。バンダナを巻いてテレキャスターを持ってという男性歌手。殆どインタビューもしてません。まあ、そんなに殊更に言うことでもないですけど。そういうタイプで言えば福山君だけかな。彼は音楽の人、という認識がありましたから。浜省フォロワーという感じとも違ってたんですよ。
で、河島英五さんだ。話しが逸れました。何だかしみじみしたんですね。旅・酒・人生、みたいな三題噺が妙にしっくりきてしまった次第です。若い頃は絶対にそんな風に感じなかったでしょうね。彼が70年代から80年代にインドやアフガンに行ったりしてた頃は、僕はロスだニューヨークだでしたからね。
ある年齢にならないとしっくりこない歌というのがあるんだなあ、と今更のように思ったりしました。もちろん、今の歌も好きですし。いきものがかりの原稿もあったりしますけど。70年代の音楽で、今聴くと、違う聞こえ方をするものもまだあるんだろうな、と思います。
彼は48才だったんですね。若かったんだなあ。40代ですよ。今朝の新聞にプロ野球解説者の加藤博一さんが56でなくなったという記事が載ってました。夕刊にはテレビマンユニオンの村木良彦さんが72でなくなったとありました。
村木さんは、テレビジャーナリズムの教科書みたいな存在でしたもんね。「テレビよお前はただの現在にすぎない」という名著がありました。12チャンネルを辞めた田原さんとTBSを辞めた村木さん。両巨頭でした。40代でも50代でも70代でも、やっぱり人が死ぬのは哀しいですよね。
話しが逸れましたね。きっかけは河島英五さんでした。彼の曲を。阿久さんが詞を書いてましたね。「時代遅れ」を。彼も河島さんに何か託そうとしたんでしょう。阿久さんはおいくつでしたっけ。ちょうど70才だ。後10年か。しみじみとした良い曲ですけど、個人的には時代遅れとは呼ばれたくないですよ(笑)。じゃ、お休みなさい。あ、ユニクロのタイツを買いに行ったら売り切れでした(笑)。