妙な取り合わせでしょう。若干遅くなってしまったんですが、今年の初ライブは渋谷AXのザ・クロマニヨンズでした。で、ライブを見ながら途中からなぜ渡さんのことがずっと頭にあったんですよ。自分でも不思議な感じがして、何で彼だったのかなあとずっと考えてたところでした。
スタイルも全く違いますしね。片やフォークで、片やロケンロールですし。歌っていることも相当に違います。でも、ライブを見ていて、どういうわけか同質のものを感じてしまったんでしょうね。漫画の吹き出しのように頭の中に彼の名前が浮かんでしまった次第です。
クロマニヨンズと高田渡。ロケンロールとフォーク。何となく見えてきたのが、両方とも”持たざるもの”であろうとした、あろうとしている、というようなところのような気がしてます。クロマニヨンズのロケンロールというのは、そういう人達の音楽のような気がしたんですよ。
シンプルと簡単に言ってしまうには勿体ないくらいの潔さ。一切の贅肉はもちろん虚飾も体裁もかなぐり捨てたようで暴発寸前のようなテンションの高さをはらんでいる。その根底に”失うものもない”という凄みのようなストイックな精神性を感じたんですね。英語だと”I HAVE NOTHING TO LOOSE”というのかな。失うものを持たないこと、あるいは人。
ロックンロールというのはそういう人達の音楽として始まった、ということを改めて思ったりしました。渡さんという人もそう言う生き方をした人でしたね。持たざる者であろうとした。彼にとってのフォークというのはそういう音楽だったんでしょう。その辺の共通点を感じたんだと思います。と自己分析ですが(笑)。
殆どの人は守るべきものも失うものも持ってしまっているんでしょう。地位とか名誉とか、家族とか仕事とかね。でも、そうじゃない人も世の中には沢山いるわけで、クロマニヨンズは、そういう人達に向けてロックをやっているんだと思ったんですよ。向けてというか、一緒になってというのかな。
この辺は難しいな。うまく整理出来てない感じですね。軽くビールも入ってしまってますし。でも、彼らが貫徹しようとしているのは、殆どのロックが失ってしまったものであることは確かなんだと思います。ロックの持つ衝動、牙。それも簡単に言葉にしませんしね。一見ナンセンスに見える言葉の奥に潜んだ過激さというのもあります。
迷路に入ってますね、電車の中では明快な気がしたんですが(笑)。また機会を改めて。というわけで今日の曲です。クロマニヨンズで「弾丸ロック」を。「弾丸ファイター」じゃないですよ(笑)。じゃ、お休みなさい。