こんな感じのタイトルでしょうね。音楽雑誌は死んだか、にしようかなと思ったんですけど、若干大げさな気もして、こっちにしました。死んだか、というのもある種の常套ですよね。ロックは死んだか、とか。民主主義は死んだか、とか、割と使われます。
死んだ、という風に思っている人はそういう言い方をするんでしょうかね。死んでないと思うからこそ、反語的に使うという場合の方が多いようにも思うのですが。死んだか、と言ってもまだ音楽雑誌はあるわけで、完全に死んでしまったとも言い難いわけですからね。
瀕死であることは間違いないかもしれませんね、って、そんな入り口でゴチャゴチャ言っててどうする(笑)。早く話しを先に進めましょう。昨日のご意見、興味深く拝見しました。そういう議論をやりましょうよ。個別の議論というより、それぞれが思ってらっしゃる事を書いてください。
例えば、今の音楽雑誌に対しての意見や批判、読んでみたい雑誌、あるいは、作ってみたい雑誌とか。そんなコメントでここが炎上(とは言わないか)するのは大歓迎ですよ。個人的な誹謗や中傷でそうなるのはゴメン被りたいですけど。
そうなんですね、コメントの中にありましたけど、ビジュアル系の雑誌は結構頑張って居るんですね。新しく創刊されたりもしているようですし。低迷しているのは、ポップス系ロック系の雑誌ということになるのかもしれません。
ただ、それは雑誌の力というよりもブームに便乗している、ということの方が正しいんでしょうけどね。確かに、ビジュアル系のバンドは、他にメデイアがあんまりないということもあるわけで、雑誌が貴重な露出の場になっているという強さもあるでしょう。
それと、ビジュアルという言葉通り、バンドの写真が載っていれば良いというファンの嗜好もあるでしょう。そういう意味で言えば、ビジュアル系雑誌というのはアイドル雑誌と変わらないわけで、雑誌の方法論の問題とは若干テーマが違うようにも思ったりします。
やはり昨日のコメントの中に「月刊カドカワ」のことが例に出てましたね。あれは検討に値することだと思ってるんですよ。ここで言う「月刊カドカワ」というのは、今も出ているアーテイスト特集の単発形式の雑誌ではなくて、その前の月刊誌だったときのことを指します。
あれは音楽雑誌の新しい一つの形でしたね。徹底特集形式で、そのアーテイストを網羅する。あの形式のモチーフは、文芸誌にあった「読本」という形だったと思ってます。「太宰治読本」とか、ありますよね。一人の作家の全体像を様々な角度で紹介する読み物。それが成功したわけです。
手元に当時の「月刊カドカワ」は、約10年分、殆どありますね。初めて僕が書いたのは85年の初めだったと思います。まだ文芸誌でしたから。音楽のことは殆ど載かった時です。二頁の音楽記事を書いた覚えがありますね。最初に書いたのは何だったかな。探せば出てきますが。オフコースの活動再開だったかな。尾崎豊の大阪球場はそこに書きましたよ。
その時の担当編集者が、今、幻冬舎の役員の名編集者Iさんでした。文芸誌だった「月刊カドカワ」を音楽誌に変えたのが当時、野性時代から新たに映ってきた、現幻冬舎社長のKさんだったわけです。
というような個人的は話しを書こうと思ったわけではないんですけどね、話しが逸れているうちに時間になってます。続きは明日にでも。ご意見お待ちしてます。今日は、秦基博さんの初のツアーファイナル、渋谷AXでした。わずか7本のツアーだったようですが、それでも一回り成長した気がしました。
彼の声は魅力的です。かきむしるような切なさとあどけなさが同居していて、引き込まれます。20代のボーカリストではBUMP OF CHICKENの藤原基央に次ぐ感じかな。タイプは違いますけど。今年お勧めの一人でした。彼のデビューミニアルバムのタイトル曲「僕らをつなぐもの」を。弾き語りでやってました。良かったですよ。じゃ、お休みなさい。