この間、雑誌とネットという話しをしていたばかりですが、また一つそれに関連した知らせをもらいました。ぴあから出ている雑誌「ニューズメーカー」が12月発売号で休刊になるんだそうです。廃刊と同義語の休刊ではなくて、来年の春には新創刊ということになるらしいですが、雑誌が置かれている厳しい状況を反映はしてますね。
「ニューズメーカー」は頑張っていた方だと思っていたんですけどね。「ぴあ」には週刊の本誌もあって、それとの関連づけも含めた戦略の再構築ということのようです。「ぴあ」として、音楽雑誌をどう位置づけるかという大きなビジョンも絡んで居るんでしょう。
「ぴあ」は情報誌ですしね。「ニュースメーカー」は、情報誌では出来ないグラビアとか、読み物という路線をめざしていたようですけど、その立ち位置の再検討ということなんでしょう。これで、80年代からの音楽専門誌は「パチパチ」と「B・PASS」だけになってしまいましたね。寂しい限りです。
音楽雑誌の時代は終わったんでしょうか。それとも時代に合った音楽雑誌というスタイルが見つかっていないんでしょうか。この間書いた「ナンバー」のような音楽雑誌というテーマが再び頭をもたげてきます。
確かに情報はネットの方が早いですよね。ホームページに行けばデイスコグラフィやツアーデータなどのデータも揃ってますし。でもなあ、と思うんですよ。それは、ジャーナリズムでもないし、エンターテインメントでもない、まさしくデータなんですよね。
それをどう読むかとか、どう切り取るかとか、そこに何を見るかとか、そういう物の見方や描き方はないわけです。アーテイストの言葉というのもそうですよね。お知らせ、に近いメッセージはあるんでしょうけど、それ以上に入り込んだものはネットにはないように思うのですが。
もちろんネットは情報、と決めつけるのも短絡ですし、ファンサイトの中には、プレイベート・マガジンに匹敵するものもありますし。読み応え十分な素晴らしいサイトもあります。でも、それは、概してクローズドな気がするんですよ。
雑誌の面白さというのは、その雑誌が一つの世界を作っていることでしょう。例えばAというアーテイストとBという人が並ぶことによって見えてくるものもあるでしょうし。相乗作用もあります。Bを知らなかったAのファンが、Bを知ることになったりもします。
雑誌の方が能動的と思うのは雑誌派のひいき目でしょうか。ネットは、こちらが能動的にならないと広がってゆかないですし。パラパラとめくっていて色んな事に気づくという何気なさは、雑誌ならでだとは思うのですが。
雑誌がそこまで自分たちの本の中身を検証しているかどうかというのは疑問ではありますが。そのアーテイストや曲の何を伝えようとしているか、までを形にしている音楽雑誌はないように思われます。これだけ惨憺たる状況だからこそ、新しい雑誌が生まれてくる気がするのですが。
というわけで年末にまた一つシリアスなニュースでした。ニュースメーカーがニュースになっちゃ世話無いね(笑)。笑いごとじゃないけど。というわけで、今日の曲ですね。「コミック雑誌なんかいらない」という曲がありましたね。頭脳警察だ。”俺のまわりは漫画ばかりだから”。漫画みたいなニュースばっかりです。じゃ、お休みなさい。