ですよね。ジョンの27回目の命日。生きていれば67才。どんな感じになってたんでしょうね。彼が40才で死んでから、いろんな人が40才という年齢を一つの基準に考えていたと思うんですが、もうそんな時代をとっくに過ぎたわけですよね。今やみんな60ですからね。
ジョンが死んだ日のこと、覚えてますね。他人の死であんなに泣いたのは初めてだったんじゃないでしょうか。布団をかぶって泣いたという経験はあれくらいでしょうか。そうだ、その日の夜に飲みに行って、どこでどう飲んだのかも分からないくらいにべろんべろんで、気がついたら知らない女の子の部屋で目が覚めてました。
ほんとに最初で最後ですね、ああいう夜は。もちろん、そういう関係になるほど正常だったわけじゃなくて、意識不明を担ぎ込まれたという感じだったんですが。絵に描いたような泥酔でありました。やっぱりショックというのかな、というより悲しかったんでしょうね。
同じ時代を生きた最良のヒーローというんでしょうか。ヒーローというよりもっと身近な気がしてましたね。特に、子育てをしてからです。男が子育てをするというのを、あのジョンレノンが見せてくれたわけですから、生き方のお手本でした。
彼が見せてくれて、教えてくれたのは、音楽だけじゃなかったわけですね。だからと言って音楽と離れていたわけでもなくて、音楽と人生が一緒になっている。音楽も成長するし、人間も大人になる、それが一体になってたんですよ。
リバプールの不良ロックンロール少年が、世界を席巻するスーパースターになり、なおかつ、一人の人間として目覚めてゆく。71年に彼が、”叛”と書いたヘルメットをかぶって歌っていた姿は強烈でした。同志、という感じですよね。
それが内省期に入り、育児に没頭し、再び音楽に帰ってゆく。こんな人間的な生涯を送ったロッカーは見たことがなかったわけです。しかも繰り返しますが、同じ時代を生きているという共感を持って見ていましたからね。
多分、そういう見方はミュージシャンとは違うんだと思いますけど。それぞれの中にジョンがいるわけですから、その一人ということでしょう。人間の成長と音楽の成長。今や、日本でもみんなそうありたいと願っている軌跡を彼が見せてくれたわけです。
愛と平和の人。それがどういうものだったのか、今度公開される映画が楽しみですよ。ジョンとヨーコはアメリカ政府に狙われていた、というドキュメントなんですよね。愛と平和、というのが、彼にとっては教科書的な美辞麗句じゃなかったんですよね。
というわけで、改めて、ジョンを偲びましょう。曲は何だろう、拓郎さんの「ビートルズが教えてくれた」かな。でも、「ギブ・ピース・ア・チャンス」でしょう。「イマジン」よりもリアリテイがあるんですよ。これを。デリコのアルバムにこの曲のオマージュがありました。
今夜はトミーが二回散歩に行きました。原稿が思ったより早く終わったんで。トミーにとっては今夜はダブルファンタジーという感じだったかもしれません。じゃ、お休みなさい。