頂きました、このフレーズ(笑)。今日は、そうしますね。昨日は、NHK・FMの「トーキング・ウイズ・松尾堂」という番組の収録がありました。丁寧な台本もあったんですけど、全然、逸れっぱなしで申し訳ないことをしてしまいました。「いつも見ていた広島」も「みんなCM音楽を歌っていた」も、構成作家の方が、丁寧に読み込んでくれていたんですけどね。
作家としては、複雑な気持ちになるんですね、そういう時って。台本通りにやってほしいという気持ちと、そこから離れてもその人が楽しくしゃべってくれれば良いという気持ちと両方あるんですよ。番組が面白ければいいや、という面と、自分のやったことが生きなかったのではないかという空しさと。と言って、これは空しい前の1コピーということでも解決しませんけど(笑)。
放送作家は基本的に裏方ですからね。もちろんその面白さもあるんですけど、自意識がそこに納まらないこともあるんですね。そうなった時に。ま、転職ということになるわけです。天職探して転職人生、というんでしょうか。
元放送作家、多いですものね。フットワークが軽かったり、好奇心旺盛な人が多いせいでしょうか。筆頭は青島幸男さんだったり、永六輔さんだったりするわけですけど。近しいところでは作詞家の岡本おさみさんとか、喜多條忠さんとか。70年代の前半は全く同じところにいた二人です。
岡本さんも喜多條さんも、作詞家になって放送を離れてゆきましたが。僕はそれを見ていたんで、放送にいようと思った時期もありました。ラジオが面白かったせいもあったんでしょうけど。そういう番組に恵まれたとも言えますね。落合さんとかみのさんとか、やっていて勉強になりましたから。
昨日の「松尾堂」で、その頃のことを聞かれたんですよ。「一番勉強になったことは何ですか」と聞かれて、ふっと考えてしまいました。でも、一つだけあるんですけど。読み安い言葉。というのは、そこで鍛えられた感じです。
放送の台本は、他人が読むことが前提ですからね。分かりやすくないと駄目、声を出して読めないと駄目なわけです。というような話しをしました。今でも、こうやって書いていて、どこかで音読してますからね。さすがに夜ですし、声は出しませんけど。これ、ひょっとして企業秘密、というのかな。そんな大げさな(笑)。
放送作家話になってますね。まあ、僕の場合はラジオだけでしたからね。だから良かったのかも知れませんけど。テレビに行った人もいましたよ。「何でテレビやらないの、ギャラが一ケタ違うよ」と言ってました。でもなあ、やらなくて良かった、とやっぱり思います。
テレビに行ったら、こんな風に音楽に接する機会もなかったでしょうし、こういう感じにはなっっていなかったでしょう。それこそ天職探しの転職人生になっていたかもしれません。でも、それなりの転職はしてますけどね。
そう、70年代の頃の台本はコピーだったんですよ、って話しがつながった(笑)。正確に言えば、原稿が早く入る番組の台本はガリ版刷りだったんですけど、僕みたいに、いつもギリギリになると、自分でコピーして持ってゆくんですよ。
自慢じゃないですけど、字は汚いです(笑)。汚くはないんですよ。書き慣れてますから、揃ってはいるんですけど読めない、もっとタチが悪いわけです(笑)。実は、NACK5の大野勢太郎さんは、昔文化放送のアナウンサーだったんですが、僕のその汚いコピー台本を読んでいるんだそうです。
僕は全然覚えない(笑)。でも、彼が入社して最初に読んだ台本だったんだそうです。すごいでしょう。昨日の夜、「NACK5」の「病院船・氷川丸」の打ち上げの食事会があったんですけど、そこでもそういう話しが出てました。
そうだ、昨日、消えてしまったのは、そんなことも書いてたんだ。「病院船・氷川丸」は、民間放送連盟賞の優秀賞というのを頂いたそうです。放送文化大賞という賞の地区代表とかにも選ばれたというので、その食事会でした。
残念ながらグランプリじゃなかったんですけど。「イムジン河2001」というNACK5で作ったドキュメンタリーはグランプリだったんですよ。フォークル再結成も、その番組がきっかけで始まりました。「病院船・氷川丸」は、そこまでは行きませんでしたけどね。
というわけで、明日は「J-POPマガジン」。AIさんの後編です。終わってからコブクロのインタビュー収録ですね。明日も長い一日になりそうです。今日の曲ですね。KREVAの武道館に行ってきました。スピッツの草野マサムネさんとのコラボは良かったですよ。その曲を。「くればいいのに」。じゃ、お休みなさい。さあ、空しい前に1コピーです(笑)。