また一人ですね。西鉄ライオンズの名投手。鉄腕。神様仏様稲尾様、という名台詞のご当人。70才だったんですね。西鉄黄金時代は、小学校から中学にかけての記憶に鮮明に焼き付いてます。背番号24。軽やかなフォームでした。スポーツ選手は身体が強いんでしょうか。あんな状態になるまで気づかないんですからね。
僕は東映フライヤーズのファンでしたから。東映・西鉄は黄金カードだったんですよ。駒沢球場という野球場があって、そこが東映のフランチャイズでした。駒沢の暴れん坊と言われていたんですよ。西鉄は野武士と呼ばれてましたからね。”暴れん坊対野武士”。いかにもパリーグらしかったです。
昨日、広島でオヤジが「広島カープ」に縁があった、という話しをしていて、広島FMのパーソナリテーの方から「じゃ、やっぱり広島ファンですか」と突っ込まれて、つい「パリーグファンです」と言ってしまったんですが、それはほんとです。
でも、そうやって戦後のヒーローが、ますます少なくなってきてますね。阿久さんもしかりでしたけど。野球と音楽。重松清さんの言葉を借りれば「戦後の少年に夢を与えてきたのがバットとギターだった」ということになります。稲尾さんはピッチャーですけど、彼をどう打つか、というのも大いなるロマンだったと思います。
西鉄の稲尾、東映の土橋、だったんですよ。土橋投手は浅草生まれで江戸っ子ピッチャーと呼ばれてました。彼は草野球出身でした。稲尾投手も野球学校のエリートではなかったですよね。インデイーズからいきなり一位になるような感じでしょうか。
そうか、西鉄が三連敗して四連勝したのは1958年か。昭和33年。日劇ウエスタンカーニバルが始まった年か。確か「ALWAYS」もその年が舞台でしたよね。偶然じゃないんでしょうね。地方から集団就職で東京に出てくる若者たちに、九州の野武士軍団がエリート・巨人を倒すという構図がピッタリだったのかもしれません。
稲尾さんがなくなったというのは、そんな時代の郷愁を一層強く感じさせるような気もしますね。力道山と西鉄ライオンズか。それとウエスタンカーニバル。みんな同じ時代の背景になってますね。僕らは小学生でした。「ALWAYS・三丁目の夕日」のあの子達です。野球と音楽。ギターとバット。背番号24よ永遠なれ、です。
いや、どっと疲れが出てますね。昼間AIさんのインタビューがあって、そのまま家。仕事になりませんね。もう寝ようと思います。上海が待ってますからね。というわけで、今日の曲。ウエスタンカーニバルは小さかったし、もちろん行ってませんが、この曲は知ってます。平尾昌晃さんで「星はなんでも知っている」。”生まれて初めての甘いキッスに”という言葉にドキドキしてた頃でした。じゃ、お休みなさい。