正確に言えば、レジオネラ菌の続きじゃなくて、肺炎の続きですね。ま、そんなに大した違いはないですけど。あ、今、トミーと一周してきたら、吐く息が白かったですよ。この秋初めてかな。少しずつ冬に近づいているという感じです。
で、肺炎だ。昨日の続きです。あそこまで書いたんだから、書いてしまいなさいよ、と誰かが背中を押してます、というほどでもないか。別にそんなこと読まされてもという方も多いでしょうけど。そう、「ON THE ROAD AGAIN」の最後の原稿を書き終えて、その日に、具合が悪くなったんですよ。
サザンの西武球場でしたけど、缶ビールを飲んでいて、妙な気分になって、次の日、レントゲンを撮ったら、肺に影があった、というところまで書きましたね。ね、って君は学校の先生か(笑)。近所の医者だったんで、その先生(こっちはほんとの先生)も慌てたんでしょう、最初は、風邪薬出しましょう、っていう程度でしたから。
僕は、小学校の一年で肺の病気をしてますから、自覚症状だったんですよ。肺にこもるような嫌な咳でした。で、一応、レントゲンお願いします、と言って撮影して、それでしたからね。清瀬という街にある、結核研究所というところに紹介状を書いてくれました。
いやだったなあ。そこに行ったら、すぐに検査入院ですよ。一晩泊まって、肺の内視鏡で、影のあるあたりの細胞を取って精密検査をするわけです。肺の内視鏡はすごいですよ。肺の中にカメラを入れて、しかも内部を水洗いするんですから。ゴボゴボと水が入ってゆくのが分かるんですよ。気持ち悪いことこの上ないです。
カメラですから、画面も映るわけで、ほうほう、きれいですよ、煙草は吸ってませんね、とか実況されるんですが、こっちは生きた心地もしてませんから目も開けられないわけです。で、一泊して、その検査をして、細胞を調べるんですね。
もし、その影が悪性の何かだったとしたら、とか脅されるんですよ。悪性というのは、ガンということですよね。ですから、結果が出るまでの、どのくらいだったかな。そんなに長くはなくて、数日かな一週間くらいだったかな、その間は、宣告を待つみたいな気分でした。もし、今、自分が、いなくなったら、ということを真剣に考えましたからね。
幸い、何ともなくてただの(というのかな)肺炎で終わりましたけど。それでも一ヶ月くらいは自宅静養で、アルコール厳禁の生活でしたね。まあ、そこまでしてあの本を書いたと思えば、美談にもなるのかもしれませんけど。そんなこんなでニュースなんかで”肺炎”とか言われると、敏感に反応してしまいます。
やっぱり、一度、そういう病気をすると、過敏になりますよね。潜在的な恐怖感というのも植え付けられますし。そう思うと、拓郎さんがホームページに書いていた”恐怖”という言葉の強烈なリアリテイを感じてしまうわけです。
何を書いてるんだろうなあ、闘病日記じゃあるまいし(笑)。でも、どんなに健康そうに見える人でもいつ何があるか分かりませんからね。昨日、書いた、温泉でレジオネラ菌に感染した人もジム通いをしていて、健康そのものという感じの人でしたからね。
というわけで、肺炎話はこれでおしまい。明日は、「ニッポン放送」のテリー伊藤さんの番組と、その後に小室さんの取材なんですよ。まるで六文銭のように、について。「毎日新聞」用ですね。「70年代ノート」の取材も兼ねてます。夜は、YUKIさんの武道館かな。
小室さんと初めて仕事をしたのは35年前だと思います。でも、こうやって面と向かって正面からインタビュー取材するのは初めてかもしれない、すごいな。この曲の話しも聞きたいんですよ。六文銭で「原子爆弾の歌」。紀伊国屋がすっ飛んじゃう歌です。じゃ、お休みなさい。