ご存じない方の方が多いでしょうねえ。1969年に創刊された、日本のタウン誌の第一号と呼ばれている雑誌。タイトルのように新宿のタウン誌でした。当時は商店街雑誌とかPR誌と呼ばれていたと思います。”タウン誌”という言葉はプレイマップが広めたと言って過言でないでしょうね。
発行は新都心新宿PR委員会。すごい名前でしょう。文化放送が中心になって新宿の商店街を集めて作った組織でした。委員長が紀伊国屋書店の社長だった田辺茂一さんという方でした。もうなくなってしまいましたけどね。
そうなんですよ、なくなってしまった方が多くなってます。文化放送で「新宿メデイア・ポリス宣言」という壮大なビジョンを立ち上げたKさんもなくなってしまいましたし。今日、「プレイマップ」の編集長だったHさん、本間健彦さんですけど(笑)。いいよね、だって実名で登場する原稿を書くんだから。彼ともそんな話しになりました。
毎日新聞で10月から連載する70年代ものの最初の取材でした。ちゃんと話すのは20年ぶり、いや、もっとかな。あの時はどうだったんですか、というような突っ込んだ話しをしたのは初めてかもしれない。出会ったのが1969年の2月か3月ですから、すごい時間が経ってます。
69年から70年代初めの新宿ですよ。西口フォークがあったり騒乱事件があったり、フーテンやヒッピーが駅前にたむろしていて、アングラだサイケだという今思えばグチャグチャなエネルギーに充ちていた頃の新宿です。その頃のタウン誌です。僕の最初の仕事がそこだったわけです。
思い出してもおぞましい(笑)。でも、そろそろみんな死んじゃうんで、やっぱり語らないといけないでしょう、と本間さんと話したわけですが。でも、どういう連載になるか、まだ皆目検討がつきません。とりあえず手探りで始めてしまおうとは思ってますけど。でもねえ、覚えてないことも多いんですよ。資料も残ってませんし。と、ぼやいても始まりませんが(笑)。ま、ボチボチやります。
で、BUMP OF CHICKENの取材。丸一年ぶりでした。見かけは痩せたかなという感じでしたけど、話し始めるとやっぱり元気でした。媒体はオリコンのウエブかな。原稿のボリュームが少ないんで書き足りないでしょうけど。ま、それは言ってもしょうがないです。
彼らのことを書くんなら、ギャラのことはいいよ、みたいなアーテイストがいるんですけど、彼らもそんな一組です。でもねえ、今日の最初の取材が一時間の予定を二時間もやったらしく、始まりが一時間遅れ。ZEPPTOKYOは断念しました。
そんなにオーバーするのは、インタビュアーの技術的な問題でしょう。答える方は聞かれれば誠実に答えるわけですから。大体、400字原稿用紙10枚くらいの原稿で、40分程度で要点を聞けないとしたら、それは聞き方が未熟なんだと思います。30分じゃ短いですけど。
八つ当たりしてますね(笑)。でも、バンドのせいじゃないんで、そこは気にしないでください、って誰に言ってるんでしょうか(笑)。そんなわけで、明日は「J-POPマガジン」。夜はユーミンの「シャングリラ」の、見納めかな。合間にGLAYのON-AIR・EASTの原稿が書ければ、なんですけど、きっと無理でしょう(笑)。
今日の曲です。何かなあ。ふっと側にあった、ゆずのデビュー10周年記念アルバムに「ねこじゃらし」という曲がありました。これにしましょうか。「ゆずのね」は、ゆずの10年間を二枚に分けたアナザーサイドベストです。新宿は関係なかったですが(笑)。あ、でも、「路上」のはしりは69年の新宿西口のフォークゲリラでしょう。じゃ、お休みなさい。