正確には二匹、というべきなんでしょうけど、家でもあの子とか呼んでますから、何となく二人という感じです。つまりトミーとジミーです。美也子がいなくなってからの彼らの様子について書こうかなと思います。
そんな大きく変わったということはないんですけど、しばらくは二人ともどこか拍子抜けしたような感じはありましたね。ジミーにすれば、いつも怒られていたうるさい母親がいなくなった、という感じなんでしょう。あれ、という感じとせいせいした、というのびのびしたようには見えました。
そうですね、前よりも遠慮がなくなったというのは二人ともに言えるかもしれません。ジミーは元々カミサンべったりなんですが、それが一層強くなって、トミーは逆ですね。彼女も前は美也子に遠慮して僕の部屋にもあんまり入ってこなかったんですけど、今は、居座り気味です。
トミーは、夜、僕の部屋の洋服ダンスの中に寝てますね。前は時々美也子が潜り込んだりしてましたけど、今は、彼女の場所になってます。夜、僕が電気を消すと、しばらく様子をうかがっていてから自分も「お休み」という感じでごそごそと洋服ダンスの中に入って寝ます。
タンスの中に下がっている服は毛だらけになっていそうで、衣替えの時の洗濯が大変そうです。猫の毛は洗濯屋さんにいやがられますよねえ。どうなりますか。これから毛が抜けるようになって、家ホコリにもなるわけです。そういう鼻炎にもなったりしますよね。それじゃ厄介ものみたいじゃないね(笑)。
ジミーはやせましたね。何でだろう。もちろん年というのもあるんでしょうけど、美也子がいなくなってめっきり老けた感じです。のびのびしているようではあるんですけど、体型はほっそりしてデブ猫の面影はなくなってます。連れ合いをなくした旦那さんという感じかな、夫婦じゃないですけど(笑)。
そう、やせてきたら美也子に似てるんですよ。デブ猫の頃はそんなに感じなかったんですけどね。おまけに、今日、ジミーが刺身を食べたんですよ。今までは生魚には見向きもしないで火を通さないと食べなかったのに、ですよ。
美也子とトミーは反対に、ナマ派でした。妙な言い方ですけどね(笑)。トミーは、変わらず刺身好きですが、ジミーが嬉々として食べたのはビックリ。カミサンは、「美也子が乗り移ったのかな」とか言って面白がってます。そんなに好みがいきなり変わることってあるのかな。
確かに、猫の性格には先天的なものと後天的なものがあるようですね。体調の変化とか環境によって変わることとかなんでしょうけど、トミーも小さい頃はお腹に虫がいて、その頃は、いつもボーッとして生気がない猫でした。医者に行って、虫を一掃してから変わりましたね。お出かけオバサンになったのもそれからなんで、後天的なものでしょう。
そうやって考えるとジミーの食べ物の変化は年のせい、とも言えるんでしょうけどね。年を取ると魚が恋しくなって、か、親父だね(笑)。でも、母親がいなくなってげっそりするというのは何だか切ない感じもします。次はジミーだ、なんてならないと良いですけど。
あ、美也子が死んだ後に、もう一つ、気がついたことがありました。移動火葬車に来てもらってお骨にして、一番近い犬猫墓地に埋葬したんですが、一日だけ、骨壺を家に置いていたんですよ。そうしたら、二人とも、その側には近寄りませんでしたね。いつも寝ている場所にそばだったにもかかわらずです。何か、感じ取ったんでしょうね。猫は不思議な面がいろいろあります。
というわけで、今日は散歩も終わってます。曲は何だろうな。五つの赤い風船かな。「遠い世界に」。風船はこの間、テレビに出てましたね。70年代フォークシンガーは、今、忙しいんでしょうねえ。まさか、この年でこんなにもてはやされるとは思ってなかったんじゃないでしょうか。良い時代になりましたね。じゃ、お休みなさい。