そう、本当はこの話しを書こうと思っていたんですよね。今、読み返してみて思いました。あれ、話しが途中で変わっているじゃんと。で、”某所”ですよ。あの”某”というのは、”ある”とか”なにがし”という意味だと、昨日触れた表紙のない辞書には書いてあります。
”ある”と”なにがし”。英語で言うと”SOME”ということになるのかな、というほど英語に堪能なわけじゃないですけど、堪能より胆嚢という感じです、何のことか意味不明ですが(笑)。じゃ、”あるある大事典”は”某某大事典”ということになるのかな、ぼうぼうお尻に火が点いているのは関西テレビでしょう(笑)。
あるある大事典、大変ですねって、この話しはどこに行くんでしょうか、自分でも分からないです(笑)。でも、大前提としてあんなに信用してはいけない番組だということはありますけどね。眉唾に決まってるじゃん、というくらいに思っていた方が良いんですけど、テレビに対しての信仰はそうじゃないんですね、きっと。
確かに、ねつ造もでっち上げもいけないことですけど、あんな番組、ジャーナリズムでも報道でもない、ただのバラエテイなんですから、あそこまでまなじりを決して追求するような代物でもないっすよ、と言うと叱られるのかな。
何だか、揚げ足取りが正義になっているようで窮屈な感じもするんですよ。柳沢発言も言語道断、ですし、聞いたときは絶句しましたけど、問題がそれしかない、みたいな拡大視もどうなんだろうと思います。こういう書き方は誤解されそうですけどね。
おかしなことはいっぱいありますよ。先週の「週刊文春」だったかな、スピリチャアル・ブームのことも書いてましたね。霊能力とか言うものについて、眉唾じゃないかと指摘してました。あ、この話しは辞めます。何だかろくなことがなさそうな気がしてきた(笑)。
何の話しをしているんだっけ。某だ。ソフトバンクになったのは某だフォンですね、何のこっちゃ(笑)。でも、もっと他にやるべきことがあるんじゃないか、というのは思いますね。テレビなんか見なきゃ良いじゃないかと思うし。そんなに何かに頼らないと生きて行けないのかな。
誰のせいにも出来ないけれど、自分のせいで起きてしまったり、引き受けないといけないこともあるんでしょうし。誰も解決してくれない十字架のような重荷もあるんでしょう。あんたが悪い、と言えない苦しさというのかな。そうやって生きている人もいるんだろうなと思います。
こんな話しになりました。”某所”の話しだったのにね。”某某大事典”が間違いでした(笑)。明日の「J-POPマガジン」は、GLAYのTAKUROさんの後編です。2003年の”某イラク戦争”の時に、彼が立ち上げた反戦サイトのことを今、改めてどう思っているか、聞けると思います、多分。
というわけで、今日も妙に暖かい夜です。でも、インフルエンザの流行はこれからだそうです。皆さん、気をつけましょう。うがい励行ですよ。というわけで今日最後の曲です。何でしょうね。テレビの曲かなあ。そんなのあったかな。
こういうのはどうでしょう。陽水さんの「白い一日。テレビも何も見ずに真っ白な陶磁器を見ている。そんな一日があっても良いかもしれません。真っ白な手帳を飽き飽きして眺めている定年後のオジサンもおいでかもしれませんが(笑)。じゃ、お休みなさい。