これも久々だったんですが、新宿で飲みました。何だか毎日、飲んだ話しばっかりになってますね。昨日のカラオケもそうですけど、浮かれてますね(笑)。今頃、新年会をやってる感じです。今日は、某出版社のYさん。良いな、この言い方。勿体つけていて。
都内某所、とか言いますよね。あの某、というのは何を意味するんでしょうね。と思って、机の横にある辞書を開けました。無茶苦茶古い辞書なんですよ。もう表も裏も表紙がなくなってます。背表紙もないんですよ。だからどこの会社のものとかも分からなくなってます。
今、改めて、いつから使って居るんだろうと思ってみたら、かろうじて、うすく消えかかっていた”新宿プレイマップ”という文字を見つけました。何と言うんだろう、本の厚くなった部分ですよ。背表紙の反対側というのかな。そこに判が押されてました。
そうか、そんな昔から使っているのか、と自分でちょっぴり感慨にふけってしまいました。「新宿プレイマップ」というのは、僕が最初に仕事をした雑誌の名前なんですよ。名前の通りに新宿のタウン誌でした。創刊は1969年。大昔でしょう。
うーん、妙に符牒があいました。某出版社の話しで始まっているわけですから。久しぶりに新宿で飲んだという話しだったのに、手に取った辞書が、「新宿プレイマップ」の時のものだった。つまり編集部から家に持ち帰ってそのままずっと使っていることになります。38年間も!
で、書こうと思っていたのは、新宿の駅が変わったね、ということだったんですよ。以前、日清パワーステーションというライブハウスがあった時は、毎週行ってましたけど、最近は、新宿のライブが少なくなって、殆ど素通りという感じになってました。
だって、駅ビルの地下に食料品売り場がないし、三越にはヴィトンの路面店が出来ているし、昔よく待ち合わせをした紀伊国屋の横の喫茶店「カトレア」もないし。あれまあ、という印象でした。思い出した。去年の6月に「コマ劇場」に行ってるんですけど、その時は、中央口の方に行かなかったのかな。気づきませんでした。
何がどう変わったのか、一度ちゃんと見てみようかな。70年代初めとどう変わったのか。でも、きっと悲しくなるだけかもしれませんね。何でもそうでしょうけど、”あの頃”を追い求めたり探したりして、前向きな何かに出会うとは思えませんものね。
時々、他の都合で偶然、そういう場面に遭遇するのは良いんでしょうけど。いつだったか、ネットで、「新宿の60年代を旅する」というツアーを見たことがあります。風月堂とか、ボロン亭とか、有名な喫茶店の後とか、ゆかりの場所を辿るんですよ。しかも当時のような格好をして。
その写真を見ていて、確かに懐かしくもなったりしましたけど、どこか空しさも覚えました。どうなんでしょうね。過去へのタイムトリップ。怖いものみたさ、みたいなものでしょうか。という話しをしていて時間ですね。新宿話は、書き出したらきりがないくらいに沢山あります。どなたか、そういう機会を頂けないでしょうか。寝る前45分じゃ無理です(笑)。
そんなわけで、今日の最後の曲です。何だろうな。1969年・新宿。そう、西口フォークだ。最初は二月の土曜日でした。フォークゲリラです。彼らの歌っていた曲です。先日話に出た岡林信康の「友よ」を。
その中に”夜明けは近い”という歌詞があるんですが、彼は途中から”夜明けは来ない”と変えてました。”夜明け”。来るんでしょうか。槇原敬之君は「明けない夜が来ることはない」と歌ってましたけど。皆さんに、明るい夜明けが来ますように。じゃ、お休みなさい。