という歌がありました。1969年の大ヒットです。歌っていたのはカルメンマキさん。長い髪で物憂げな大きな瞳で。ジーンズで。しかも裸足でした。あの年の紅白歌合戦には裸足でステージに立ってました。作詞・寺山修司、作曲・田中未知。あの頃、大好きな歌でした。
あの歌の思いがけない事実を知ったんですよ。まあ、僕にとっては思いがけないことだったというだけですけど。レコード会社は前の年に出来たばかりのCBSソニーだったんですが、その担当デイレクター、プロデユーサーが酒井政利さんだったというのを先日知りました。さっき、来週の「毎日新聞」の連載原稿に書いたばかりです。
酒井さんという方は、山口百恵のプロデユースで有名になった方ですね。最近はテレビのワイドショーのコメンテーターで出てたりもしますが、他にも、南沙織、郷ひろみ、天知真理、キャンデイーズの後期、ジュデイオング、久保田早紀と、これでもかというほどヒット曲を飛ばしている人でもあります。
でも、当時は”歌謡界の人”という印象があったんで、一度お会いしただけでほとんど接点がなかったんですが、今回、「毎日新聞」の取材で色々お話を聞く機会がありました。で、知ったんですよ。「時には母のない子のように」が彼だったって。
歌謡曲でもフォークでも、どっかで通底していたのかなと思ったりしました。「時には」をフォークとは言いませんけど、歌謡曲じゃなかったですから。あの頃のフーテン(なつかしいぞ、と)やヒッピーという空気感を一番強烈に持っていた女性でしたし。通底していた、というより、そういう人だったから、歌謡曲という型にはまらないヒットが飛ばせたと言った方が良いかもしれませんね。
彼女自身は、あの歌が嫌で、その後でジャニス・ジョプリンばりの女性ロッカーのはしりとして君臨するようになるわけですが。最近は歌っているようですね。もう7,8年お会いしていませんが元気で居て欲しい女性の一人です。
そう、色んな事のパイオニアですよね。女性ロッカーの海外録音もそうだし、ツアートラックで全国を回ったということでもはしりの女性でしょう。カーマイン・アピスという、外人ドラマーとツアーもやりましたし。でも、70年代当時、「ニューミュージックマガジン」が「女にロックは出来るか」という特集を組んでいたことがありましたね。すごい時代でしょ(笑)。
そう考えると、あの頃の方が良かったとはなかなか言いにくいところもあるんですよね。そういう意味で言えば今の方が自由だし。世の中の他の面は別でしょうけど、こと音楽に関してはです。ま、今が良いか、あの頃の方が良かったか、見方によって変わると思いますが。でも、時には母のない子のように」は今も好きです。
「SOMETIMES LIKE A MOTHERLESSCHILD」というブルースの名曲があるんですよね。今の子供達に、この言葉はどう響くでしょうね。幡ヶ谷の兄姉殺人も思いがけない展開を見せてますし。家族兄弟、受難の時代が始まったようです。
というわけで、今日最後の曲。やっぱりこれです。カルメンマキ「時には母のない子のように」。外は寒かったです。時には暖房のない家のように、という感じでした。じゃ、お休みなさい。