何となく昨日の話の続きをしたくなりました。元々公園は嫌いじゃなくて10代の頃から一日ベンチで本を読んだりしてましたし、一番多感な、良い言葉だね(笑)、多感な時は、公園で夜明かしをしていたこともあるんで、和む場所ではあります。
そう、夜明かししていたんですよ。ま、当時のいい方でフーテンみたいな時期がありましたからね。新宿の歌舞伎町の公園の滑り台で朝を迎えたこともありました。あの辺が今ほど、危険じゃない頃ですよ。王城という喫茶店があって、その横のわずかなスペースでしたけど。その前が、ビレッジ・ゲイトというジャズ喫茶でした。ビートたけしさんがウエイターをしていたことがあるというお店ですね。なくなった作家の中上健次さんもよく来ていたそうですけど。
公園で寝泊まり。今じゃホームレス扱いでしょうね。そうだ、さっきのニュースで13才の少年がホームレス狩りをしていたというニュースがありました。弱いモノいじめですよねえ。一度一緒にやってみれば良いのにね。路上から世の中を見るというのはどういうことか。違って見えるのは間違いないでしょう。
そう、尾崎豊くんは、それを実践した人だったんだと思いますよ。路上の目、というか。街の風景というのもそういう歌でしたし。「街路樹」というのもそういう歌ですよね。生活はホームレスじゃなかったですけど。あ、死に方はホームレスみたいだしたけど、と言うと、言葉が適切じゃないでしょうね。もし、そうだったら謝りますが。
昔「時計仕掛けのオレンジ」という映画がありました。今もファンは多いですよね。もうほとんど忘れてしまってますが、あの映画の中で、主人公が老人を襲う場面がありましたよね。当時は、あれが衝撃的だったんですが、今は現実の方がすごいです。悲しいことですが。
何の話しをしようとしていたんだっけ、と毎度のことですが(笑)。そうだ、公園だ。今、東京に”は指定管理者制度”というのがあるんですってね。公園とか図書館、植物園、今まで行政がやっていた施設を、民間に委託するという制度。そうやって、都政から切り離してゆく。で、そこに行政の息のかかった業者を割り振る。
一見、行政のスリム化のように見えて、実は、天下り先の確保だったりするし、民間主導の効率主義になって、サービスの低下を招いたりという問題が後を絶たないそうです。と、そいう施設で仕事をしている知人に聞きました。
それは、今の某都知事になってから一段と激しくなっているということでした。ふーん、という感じで聞いてましたけど、そう言えばそういうことなんだろうなあ、と思いますね。今の某都知事にとっては、そういう花だ蝶だとか、公園だとか言ってる人達は唾棄すべき弱虫なのかもしれません。その中にはホームレスも入っているのかもしれません。
でもな、毎晩、猫と一緒にフラフラしている公園に、ある日、正体不明の人間が寝ていたら、やっぱり気持ち悪いですけどね。言ってることが矛盾してますね。自己正当化的に言えば、世の中の問題には常に二面性があるということでしょうか。
黒沢明監督の「生きる」という映画がありました。志村喬さんという俳優さんが主演していたんですが、ガンに犯された市役所の人間が、余生を市民のために公園作りに捧げるという映画でした。感動的でしたよ。公園というのはそういう場所だった時代もあるんですよね。
というわけで今日最後の曲です。「生きる」のラストシーンで歌われていた歌を。誰が歌っていたのかなあ。「ゴンドラの歌」という曲を。”いのち短し、恋せよ乙女”という歌でした。じゃ、お休みなさい。