テーマは新聞です。あなたは新聞を取っているでしょうか。と聞かれて、何でそんなことを聞くの、と思った方は、すでに旧世代に属していることになるのかもしれません。ねえ、嫌な言葉ですよねえ。旧世代だって。悪かったな、という感じですけどね。僕もその中に入ってますからね、当然のことながら(笑)。
だって、取ってない若い人はほんとに多いんですよね。ということはここ数年前に気づいていたんですが、最近、とみに感じます。何気なく回りの人に聞いてみると良いですよ。「え、取ってませんよ」と応える若い人がいかに多いか。彼らは新世代、ですけどね(笑)。
ウチは、4紙取ってるんですよ。一般紙二紙とスポーツ紙二紙なんですけどね。何新聞かは、まあ、良いじゃないですか。読売じゃないことは確かです(笑)。巨人は嫌いでしたし、社長はもっと嫌いでしたから。ただ、あの方は最近はちょっと違ってきましたけど。この話は別テーマになりますから、今日は触れません。
土曜日は、朝刊のラジオ番組欄をチェックしてから出かけます。裏番組が何をやってるかはちゃんと知っておかないといけないですからね。で、先日、この話をしていたら、驚かれたんですよ。それはラジオ番組ということではなくて、4紙ということに対してだったんでしたけど。
読まない人は、どうしているかというと、ネットなんですよね。ネットのニュースで十分というわけで、その感覚がやっぱり違うと思ってしまった次第です。時々ネットのニュースは見ますけど、やっぱり駄目ですね。全体像が見えてこないというのかな。事象だけしか伝えてこないというのか。背景や経緯が見えてこない。あ、そうで終わってしまうんですよ。
もちろんネットの方が便利なこともありますけど、ニュースはなかなかそうならないですね。これは慣れなんだろうか、それとも、活字とネットという本質的な問題なのか、その辺が判断しかねているところです。ネットも活字だから。正確にはネットか印刷物かということなんでしょうけど。これは新聞だけじゃないですよね。雑誌も含めてでしょう。
例えば、音楽雑誌が今、かなり苦戦しているのは、明らかにネットが原因でしょう。コンサートレポートなんかは、その日の夜にファンのサイトにアップされていたりするわけで、速報性ということにかけてはネットの方が優位にあります。でも、僕は、雑誌じゃないと出来ないこともあるのに、と思っている方なんですよ。
ただ、新聞にしても雑誌の人にしても、その辺の危機意識というのがどのくらいあるのだろうと思うことも事実なんですね。中には、若い人が読んでないという現実に合わせて、年輩向けの紙面を作ろうと意識しているところもあるようですし。それが果たして良いことなのかと思ったりしてます。
朝起きて、まず新聞を取ってくるというリズムで生活するということ自体がすでに年、というより、安定期、つまり、終わっている、ということなのかもしれません。どうなのかな、若い頃、取っていたのかどうか思い出せないんですね。実家にいた頃はもちろん取ってましたけど、家を出てからどうだったのか。
もし、自分でも取っていなかったとしたら、新聞を取っているかどうかが、世代の分かれ目にはならないでしょうけど。どうなんだろうなあ。と言ってるうちに45分が終了しそうです。うーん、何だかノーゴールの気分ですが(笑)。
というわけで今日最後の曲です。新聞が歌詞に出てくる歌、あったかなあ。新聞の片隅で、という歌詞は浮かんでいるけれどタイトルが出てこない。思いついたのはさだまさしの「朝刊」くらいかな。あ、陽水の「傘がない」か。今朝来た新聞の片隅に書いていた、か。ということは「傘がない」は旧世代の歌になるのだろうか。いや、自殺する若者が増えているというのは、まさしく今のことではないか。
だとしたら、新聞かネットかという変化はあっても、世の中は全然、進歩もしてないということになるじゃないか。ウーン、思いがけないところにたどり着いたようです。ロスタイムにかろうじてゴールした感じでしょうか。じゃ、お休みなさい。あ、「傘がない」です。雨は上がりましたかね。昨日は珍しく美也子が外ションに出かけました。今日はどうするんでしょう。じゃ、改めてお休みなさい。