雨の日曜日です、と書いたら、浮かんで来ましたよ。ほら”雨がしとしと日曜日、僕はひとりで、君の帰りを待っている~”。タイガースの「モナリザの微笑み」であります。いきなり思いがけない話しになりそうですよ。
久々に、取材にもライブも行かない、原稿も書かないという日になったんで、そんな話しを書こうかなと思ってふっと浮かんだのがそれだったんですが、タイガースですよ。いや、楽しい話になりそうだ(笑)。GSです。好きだったんですよね。
「モナリザの微笑み」は作曲がすぎやまこういちさんで作詞が橋本淳さん。すぎやまさんは当時、フジテレビの「ザ・ヒットパレード」のデイレクターで、タイガースという名前の名付け親も彼でした。タイガースは大阪の難波一番というジャズ喫茶で人気になっていて、内田裕也さんがスカウトしたんですが、大阪から来るんならタイガースだというんで、つけた名前だそうです。もう何年前かな、「アエラ」の「現代の肖像」ですぎやまさんを書いた時に、本人から聞きました。
タイガースは気品がありましたよね。ストーンズのコピーをやったりしているバンドだったそうですけど、そういう不良性みたいなものをあんまり感じさせなかった。それは、すぎやまさんの曲の格調と橋本さんの詞の少女趣味的なテイストもあったんでしょう。まあ、それが後に、色んなきしみも生むことになるんですが、でも、GSの持つトーンというのはタイガースが決めたと言って過言でないでしょう。
タイガースは学生の時だったんで、仕事で逢ったことはないですけど、沢田研二さんは、ありますね。文化放送でやっていた彼の番組の構成をしていたことがありました。「セイヤング」の「ヴィレッジ」という月刊の機関紙を一人で作っていたんですが、ソロになった最初の時に取材してますね。
そう、番組をやっている時だ。一回、地方に行く特急の車内で録音するというんで、デンスケ(古いなあ、そういう録音機材があったんですよ)を持ったデイレクターと二人で、彼の乗った列車に乗り込んだことがありました。でも、マネージャーの手違いで、本人にそれが伝わってなかったんですね。そうしたら、本人は「聞いてないからいやだ」と、承諾をしなくて、結局、録れなかったことがありました。
頑固というか、意志のはっきりした人だなあという印象でした。GSが消滅して、ソロになったばかりで、俺はアイドルじゃないんだ、という強烈な自己主張だったんでしょうね。男っぽい人でした。だって、紅白の後に、浅草のニューイヤーロックフェスに駆けつけたりしてましたもんね。
拓郎さんが去年のステージで、ライバルは沢田研二だったという話しをしてましたけど、あれは、半分冗談で、半分は本音だったんだと思います。二人の共演、見たいのは僕だけじゃないでしょうね。
ということで今日最後の曲。やっぱりこれですよ。雨の日曜日でした。「モナリザの微笑み」です。夢の中でモナリザが出てくるかな(笑)。じゃ、お休みなさい。