前にも書いた、柚木淑乃さんの「帰ってきた黄金バット」をやっと読み終えました。ゆうきよしこさんと読むんですが、”柚”はこういう字ではなくて、つやや光という意味の”ゆう”。初めて見た字ですけど。”釈”という字の左側に”由”と書いて”ゆうき”です。
彼女は作家の永倉万治さんの妹さんで、彼女が、兄が所属していた劇団・東京キッドブラザースの出世作だった「黄金バット」について、追跡してゆくという小説です。でも、小説というにはあまりにリアリテイがあって、僕には感動的なノンフィクションに思えました。
東京キッドブラザースについてご存じない方もいらっしゃるでしょうけど、70年から80年代にかけて日本で未踏の領域だったオリジナルのミュージカルを作り続けた劇団です。それもロック系の新しい音楽をオリジナルで作ってましたから。劇団四季とか、あの手の翻訳ものとは全く違います。
彼らの最初の成功が、ニューヨークのオフオフブロードウエイで上演した「黄金バット」です。渋谷の「ヘヤー」で旗揚げした劇団が、片道切符を手に、船でニューヨークに渡って、「ニューヨークタイムス」で絶賛されたのが1970年。永倉万治はその時のメンバーでした。
東京キッドブラザーズの芝居は、演劇を超えた演劇という感じでした。超えた、というより無視したと言った方が良いかもしれません。劇中で役者が自分の台詞で思いの丈をぶつける。その真実味が新しいストーリーになって行く。観客も、彼らと同化して、舞台と客席が繋がり合う。その出発点となったのが「黄金バット」でした。
ニューヨークの演劇システムは、オフオフからオフ、そして、ブロードウエイと野球がマイナーからメジャーに行くようにステップアップしてゆきます。キッドは、ブロードウエイに行けたにも関わらず大絶賛の中で帰国、凱旋公演「帰ってきた黄金バッド」を上演します。
僕は、ニューヨークでは見てませんけど、帰ってから見て、打ちのめされるくらいに感動した覚えがあります。たとえは、まるで深夜放送だったんですよ。深夜放送のリスナーが誰にも言えない想いを葉書に書いてきたようにキッドの役者はステージで客席に全身で訴えていました。
演劇とコミューン。芝居を通じたユートピア。そんな共同体を作ろうとしたり、当時でないとあり得ない大胆な、それでいてロマンテイックな集団でした。ただ、結局、あまりに性急だったためでしょうか、彼らの夢は実現しませんでした。でも、柴田恭兵を初め、茶の間でも知られている役者を輩出もしてますね。
で、「帰ってきた黄金バット」は、ニューヨークにいる当時の関係者を辿り、残された記録を探りながら、彼らがやろうとしていたことを追体験しようとした本です。今のニューヨークと彼女が初めて訪れた80年代初めのニューヨークと70年が重なり合って行きます。
キッドブラザースの主な人たち、主催者だった東由多加さんも、永倉万治も、2000年に相次いでこの世を去りました。ゆうきさんは、今、当時の記録や証言を通じ、自分が知らなかった彼らを発見し、その想いを綴ってゆきます。当時のキッドのスタッフがその後、どんな人生を辿ったかという淡々とした記述には泣きそうになりました。
あの時代だから起こったこと、あの時代だから起こせたこと、そして、あの時代だから出来なかったこと。見果てぬ夢を見たこんな若者たちがいたんだということを知ってもらえたらと思ったりしました。その時の中心人物で唯一残っているのが下田逸郎さんです。みんな生き急ぐように逝ってしまいました。
うまく書けなかった気がします。でも、素敵な本でした。今日最後の曲です。永倉万治が酔っぱらってよく歌っていたうたを。洋楽ですけどね。ママス&パパスの「夢のカリフォニニア」を。むちゃくちゃ良いヤツでした。じゃ、お休みなさい。