1975年だった、と思うんですけどねえ、といきなりあやふやになってますけど(笑)。昨日、北海道の話しを書いていて、色々思い出してきたんですよ。北海道はやっぱり思い出深いわ、と、昨日のコメントを読ませていただいて、改めて思った次第であります。
で、1975ですよ。なぜ、その年だったかと思うと、札幌でフォーライフレコードの話しをした覚えがあるんですよね。季節はいつだったんだろう。70年代の手帳は一冊も残ってないんで、全く手がかりがありません。というより手帳を持ってなかった。
必要がないくらいに暇だったわけじゃないですよ(笑)。記憶力は悪い方じゃないんで、二週間先までの予定は頭に入っていて、必要がなかったんですね。おまけに自転車操業的な仕事をしてましたから、目先のことが頭に入っていれば十分だった頃の話しです。
取材で札幌に行ったんですね。それはラジオCMだったと思います。「青春風土記」というシリーズCMにして、担当者と全国を旅行しようという下心だけの企画が通って、その取材でした。つまり、その街に行って、若いヤツを捕まえて、話しを聞くというそれだけのCMでした。
その時の担当者はおじさんで、取材が終わってから別々の行動をしていて、僕は、ススキノのライブハウスに一人で行ったんだ。そう、名前も思い出した。「人畜無害」という名前だ。そこで拓郎さんの曲を歌っていた一団と仲良くなったんですよ。その時に「フォーライフレコードをどう思うか」というような話しをみんなでしたんだ。
段々思い出してきた。で、閉店になって、でも、みんなも盛り上がって、別れがたくなって、彼らの家に行ったんだ。家じゃないや、寮だ。そう、電電公社の寮だったんじゃないかな。誰かの部屋で、歌いながら議論していたんだ。
その中の男の子だったかな、バンドを抜けるとか、彼女と別れるとかで、相当酔っぱらって、風呂場で、ぶっ倒れて、ガラスで腕を切ったとかしたと思うな。みんなで、彼の手当をしてる時にも、そのバンドの仲間が泣き出したりして、まるでドラマみたいだったんですよ。
僕は次の日、同行のおじさんと合流して東京に帰ることになっていて、朝、その寮を出たんですよ。一睡もしなかったんだね。で、別れ際に、「俺たちのことを忘れないでくれ」とか言われて、みんなで寄せ書きをしたんですよ。僕はそのまま大通り公園に行って、昼頃までベンチで仮眠したんだと思います。ベンチに寝て、「何という一夜だったんだ」と思ったのは記憶してますかららね。
寄せ書きをしたんだよなあ。青春してたなあ。1975年じゃないかもしれないけど、フォーライフというのが大事件だったわけだから、きっとその頃でしょう。音楽って良いよなあと思いましたね。その頃、議論と言うと、政治がらみばっかりでしたから。
いやあ、「人畜無害」だ。知っている人、いたら、いつ頃まであったのか教えてください。電電公社の寮ですよ。今じゃ、外部の人間お断りでしょうねえ。若かったなあ。1975年の「つま恋」も、そんな記憶の中にあります。
こんなこと、ブログじゃないと書けないですよね。自分で、ちょっとつのってしまいました。あの夜一緒にいた5,6人かな。どうしたんだろうな。一人女の子がいたな。というわけで、北海道は好きです。脈絡ないですけど(笑)。
何だか妙に切ないです。今日、最後の曲は、これかな。拓郎さんで「どうしてこんなに悲しいんだろう」。じゃ、お休みなさい。夢の中で彼らに逢えますように。