昨日はありがとうございました。おめでとうは遠慮します、とか言っておきながら、やっぱり嬉しいモンですね。格好つけんじゃないっつーの(笑)。他人から祝われる事なんてそんなにあるわけじゃないですから、何歳だろうとやっぱり喜ぶべきですよ。”おめでとう”と言われることよりもそう言ってくれる人がいてくれることにありがとうと思うべきなんでしょうね。
中島さんの「傾斜」という曲に、”年を取るのは素敵なことです、そうじゃないですか”という歌詞がありますよね。でも、中には、素敵なことと思えない年の取り方をされている人もやっぱりいらっしゃるんだろうなあと思うこともあります。みんながそう思えるわけでもないんだろうなあと思ったりするのも確かなんです。
幸い、僕は、人生は悪いことばかりじゃないと思えます。それは、その人はそう思える年の取り方をしてきたということに尽きるんじゃないかと思ったりします。このニュアンスは微妙なんですけどね。また、難しい話になってしまいましたね(笑)。
幸福と不幸の境目というのはあるのだろうか。それはその人の気の持ちようで全て解決するのだろうか。例えばワールドトレードセンターで死んでしまった人は人生は悪くなかったと思えるのだろうか。つまり、誰にでも当てはまる人生論なんてあるんだろうか。
人生は捨てたもんじゃない、と言うのは、その人がそう思える今を過ごすことが出来ているということなんだろうなと思ったりするんですよ。誰もがそう思えるような世の中であるべきなんでしょうけど。そして、受け取った人がそう感じられるような音楽や、映画、芸術であると良いなと思います。
コンサート会場というのは、そういう場なんだと思ってるんですよ。素晴らしい時間を過ごせた、これまでの日々があったからこそ今を感じることが出来る、そんなコンサートが理想です。それはやっぱり生きているからこそなんですよね。浜田さんの言っていることもそういうことなんだと思いますよ。年を取るのも悪い事じゃないと感じてもらえるようなコンサートが出来るか、そういう音楽を提供できるか。それがあの人の懐の深さなんだと思います。
我ながら理屈っぽいなあ。でも、独り言だと思って下さい。秋の雨の夜は、そういう気分になったりします。昨日も今日も外に出られず、トミーは悲しそうです。今日、FM東京出版の「地球音楽ライブラリー」の件で打ち合わせした男性編集者は猫を5匹飼ってました。本の話より猫話に熱が入ってしまいました。
というわけで今日最後の曲。頭の中は拓郎さんで一杯になり始めてます。9・23つま恋も「人生は悪いものじゃない」と思えるコンサートになるでしょう。じゃ、今日も拓郎さんです。「どうしてこんなに悲しいんだろう」。お休みなさい。