そう言われた人たちがいました。これも60年代の話です。60年代の話が多いな。何でだろう。世の中では70年代ブームだとか言ってるのに。きっと、70年代というのは現場にいたわけで、そういう意味では当事者ですよね。だからそんなに改めて思い出したりという対象でもないのかもしれません。60年代は、こういう場じゃないと、機会がないということなんでしょう。
何で、そんな言葉を思い出したかというと、この間ロスでやった氷室さんのインタビューのテープを聴き直していたせいもあるんでしょうね。彼がシングル「SWEET REVOLUTION」の話をしながら”時代とビート”ということをしきりと言っていたこともあると思います。そう、ビートというのは時代によって変わるんですよ。
それは世の中のテンポやスピードとも関係するんでしょうし、テクノロジーも影響してきます。そんなことを考えながらふっと思い出したのがこの言葉でした。「ビート族」と呼ばれる人たちがいたんですよ。50年代の終わりから60年代の初めかな。
音楽はジャズでした。モダンジャズ。髪をクルーカットにして細身のズボンをはいて、髭を生やしているというのが定番のスタイルだったかな。僕はまだ小学生から中学生に入るか入らないかという年齢だったんで、そんな格好はしませんでしたが、アメリカの青春ドラマでは、そんな若者が出てましたね。そうだ、タイトルも思い出した!「ドビーの青春」だ。
あった!ネットで見たら出てました。すごいな、ネットは。1960年放映30分青春ドラマ。高校生の無邪気な青春を描いたコメデイとありました。そうか、やっぱり僕は小学生だ。ドビーというのは主人公の高校生で、そこに出ていた”ビート族”の友だちがいたんだと思います。ジャズのビートを口ずさんで、ちょっとイカれた若者という感じでしたけどね。
60年代のビート族というのはニューヨークのグリニッジビレッジなどに集まっていた路上詩人などの芸術家たちの運動でもあったんですよ。ビートという言葉はジャズのビートと、打ちのめされるという失意の若者という意味だったと思います。
ビートニクスというのは、そんな若者の総称だったんじゃないかな。ニクスというのはソ連の人工衛星、スプートニクスから取ったもので、ソ連的社会主義にも影響された前衛芸術家というニユアンスもあったようです。つまり、アメリカの物質文明に幻滅して、路上で人間回復を訴えていたジャズミュージシャンや詩人達という感じでしょうか。このくらいはネットを見ないでも頭に入ってますよ(笑)。
つまり、60年代の”時代のビート”はジャズで、4ビートだったんですよね。それがロックンロールになり、パンクになり、という形で変わっていった。まあ、その辺の話を氷室さんはしていたわけですが。でも、”ビート”という言葉に、どこか社会と相容れない芸術家精神のようなものがあるのは今も当時も変わってないということじゃないでしょうか。
話が尻切れトンボになってしまいましたね。尻切れトンボ。そう言えば、今年はトンボを見ませんね。残暑がきついせいかな。それとも東京ではもういないということかな。つま恋で赤とんぼは見られるでしょうか。
ネットは良いけど、時間を取られますね。寝る前45分という制限時間つきのブログですから、あんまり頼るのも考えモンですね。というわけで、今日はこれまでです。何だか講義みたいになってきました(笑)。それも仕方ないかもしれない。だって、東京医科歯科大の非常勤講師を7年間もやったんですからね。”芸術”という講義でしたけど。あれは、愛おしい時間だったな。というわけで今日最後の曲です。
何かなあ。久々の尾崎君はどうだろう。ニューヨークで彼と飲んだことを思い出します。彼もビートニクスだったんじゃないかな。初めてこの曲を聞いたとき、なんて大人びた歌なんだろうと思いました。「17才の地図」の一曲目です。「街の風景」。夢の中でニューヨークの街をうろついてみます。9・11ですしね。じゃ、お休みなさい。