すみません記憶違いでした。ほんとにいい加減ですね。「9月になれば」はロック・ハドソンでしたね。それもトラックバックで知りました。トラックバックって、どういう機能なんでしたっけ。トラックをバックさせる機能、違いますね、馬鹿ですね(笑)。
でも、全然違ってましたね。何で、サンドラ・ディだったんだろう。あれ!大発見!今、念のためと思ってネットで彼女のことを検索してみたら、良いんじゃん!1961年、歌手のボビーダーリンとの共演で「COME SEPTEMER」となってるじゃん。つまり「9月になれば」ですよ。
じゃ、昨日のトラックバックは何でしょうね。また調べ直すのも面倒なんで、そのままにしますが。記憶違いじゃなかった、とタイトルも変えないといけませんね。と、まあ、そんなに力む事じゃないんですけど、最初から調べれば済むことですから、すみません、バタバタして(笑)。
ボビーダーリンという歌手は、60年代に人気があった人なんですよ。エルビスほどの強烈な個性はなかったんですけど、イタリア系らしい陽気さで「ボラーレ」とか「マック・ザ・ナイフ」なんていうヒット曲がありました。そうポールアンカみたいな人かな。
今、ネットで知ったんですが、サンドラ・ディはボビーダーリンと結婚したんですね。でも、晩年は、アルコール中毒と拒食症と闘っていたんだそうです。ハリウッドスターの晩年というのも波瀾万丈ですね。60年代のアメリカを代表するブロンド美人の晩年。マリリンモンローもその中に入るでしょう。その頃の音楽を限りなく愛していたカーペンターズのカレンカーペンターも拒食症でしたね。
カーペンターズの「イエスタデイ・ワンスモア」は永遠の名盤ですね。いつ聞いてもホロリとします。そうだ、10年くらい前かな、陽水さんが面白いことを言ってましたね。70年代はカーペンターズが好きだなんて言えなかったものね、と言うんですよ。
このニュアンス、微妙でしょ。つまり、どっちかと言うと馬鹿にされた、と言いますか。刺激的な音楽じゃない分、軟弱と言われてたんですよ。まあ、あの人らしい諧謔的な言い方ですけどね。ポップスは不遇の時代でしたから。達郎さんのシュガーベイブがロックコンサートで「帰れ」と石を投げられた時代です。
ほんとなんですよ。彼らは日比谷の野音なんかでも真っ先にやって帰ってしまうんですよ。そうしないと「帰れ」と言われる。でも、歌う場所がないんで、長髪のロックバンドの中に混じって出ていたんですね。僕は彼らのことは好きでしたけど。だって僕が構成していた文化放送の「三ツ矢フォークメイツ」のCMでは彼らと大滝詠一さんが初めて手がけたCMソング「サイダー」が毎日流れてましたから。
「三ツ矢フォークメイツ」。覚えてないでしょうね。この辺は記憶違いはないですよ。当事者ですから(笑)。パーソナリテイは小室等さん、途中から相手役は中沢厚子さんから石黒ケイさんに変わったのかな。僕は5年間構成しました。
そうだ、75年の「つま恋」もその最中になりますね。あのイベント特番も作りましたね。あの後に最初に出たラジオ番組も「フォークメイツ」だった気がします。拓郎さんが、もぬけの殻のようになってスタジオに来たのを覚えてます。
その時、彼はもう大スターでしたから、スタジオの片隅にいる僕のことなど眼中にないという感じでしたね。カッコ良かったんですよ、今もそうですけど(笑)。いつかこの男とサシで仕事が出来るようになりたいと思ったものです。それから30年、今、幸いにもそういう立場にいるわけで、あの頃の自分に見せてやりたいと思うことがあります。そういう意味でも今年の「つま恋」は、僕にとっても大きな意味を持ってるんですよ。それこそ青春の総括、です。
あれ、60年代の話しじゃなかったっけ(笑)。でも、「イエスタデイ・ワンスモア」が取り上げているのは1962年という時代なんですが、まさしく「アメリカン・グラフィテイ」の舞台となった年(だと思ったけど、自信がなくなってきたりして)。あの時に、日本シリーズで優勝したのが東映フライヤーズ。今の北海道日本ハムなんですよ。今年は強いです。
あ、今日、どうだったのかな。まだスポーツニュースをやってるかな。見てみます。ということで今日最後の曲。何だろう。やっぱりこれかな。たまには洋楽ですカーペンターズで。「イエスタデイ・ワンスモア」。じゃ、お休みなさい。夢の中でBACK TO60’Sであります。