大げさなタイトルです。何を書こうかなと思った時は、まず思いついたタイトルを書いてしまって、そこから考えるという典型的な例です。書いてから、さあ、どうしようという、まあ、いつものパターンではあります。
周りに夏ばての人が多いんですよ。体調だけでなく自律神経をやられてしまったり、疲労が原因で、色んなところに飛び火しているようです。幸い、僕はまだ元気ですが。まだ、と思わず書いてしまいましたけど。そのうちにやられるかもしれませんね(笑)。
日常というのは、昨日のコメントの中にあった言葉なんですが、ふっと、俺の日常って何だろう、と思ったりしたせいでもあります。きっと、普通の人の日常じゃないんだろうなと思うんですよ。朝起きて会社に行って、時間が来たら、家に帰るというサイクルはありません。
昼間家にいることも多いし、夕方出て行くこともあります。駅まで歩くと17,8分あるんで、急いでいるとついタクシーを呼んでしまいます。いうだったか、カミサンがタクシーを呼んで、乗ったときに、運転手さんが「この間だ、旦那さん、パチンコに行くときに乗せましたよ」と言われて、目が点になったそうです。
目が点、目が本、メガホン。甲子園。何のこっちゃ(笑)。僕はパチンコをやったりしませんから、彼女は、間違いだろうと思ったらしいんですが、運転手さんにとっては、夕方、旦那さんが、手ぶらで出かけるというのはパチンコしかないと思いこんでいたということなんですよ。
これもそれぞれの日常の違いですね。若い頃は、よく水商売と間違われましたよ。明け方にタクシーに乗ると、「お店の調子、どうですか」とか、聞かれました。「いや、まあまあっすよ」とか適当に答えたりしてましたが。やっぱり普通のサラリーマンには見えなかったんでしょう。もちろん、今はもっと見えないでしょうけどね(笑)。
ただ、生活はあるんですよ。それはサラリーマンよりもあるかもしれない。ゴミを捨てることもありますし、掃除もします。もちろん洗濯もね。でも、普通の生活というのはそういうことは指さないんでしょうね。会社に行ってる人にとっては、そんな日常はないですからね。
仕事の基準も違うわけですよ。会社員の人は、社内の評価が第一で、人間関係もすべて会社が基準ですよね。上司にどう好かれるか、どうよく見られるか、そのために外の人間関係は、二の次になってゆく。そういう人をサラリーマン的、というんだと思います。
だから大変なんでしょうね。相手も人間ですから、好き嫌いもあるでしょうし。会社の中で顔をつきあわせていて逃げるわけにも行かないし。そういう点、僕らは楽ですけどね。嫌だと思ったら、仕事しなければ言いわけですから。その分、年金もないわけですけどね。普通の人の非日常が僕の日常ということなんでしょうか。
団塊の世代の今後、というテーマが色々議論されていますが、やっぱり、その対象はサラリーマンなんですよね。年金生活者。年金で海外生活、とか言われると、うらやましいと思うんですけど、無縁ということになるわけです。やってみたいですけど。
世代より個人。結局そういうことなんですよね。それが身に染みているというのかな。一人でやって行くしかない。そういうことを背負い込んだ日常ということになりますか。でも、やっているのはCDを聞いて、ライブを見て、取材をして、原稿と書いて、しゃべっている。それだけですね。まあ、すでに”老後”、ということでしょうか。
淡々と暮らしたいな、と思うことはあります。でも、動いていないと、何も生まれない環境でもあります。これからどうなるんでしょうね。何だか頼りない結論になってしまいました。”こんな頼りない世の中さ”と来れば、曲は「ひらひら」しかありません。拓郎さんです。
”見出し人間の群れが押し合いへしあい”。あの歌は、30年以上前ですが、世の中中がそうなってますよね。見出し総理ですからね。じゃ、お休みなさい。