だからどうと言うことではないんですけど(笑)。ということでもないか、やっぱり今年の8月は意味がありますよ。だって、今週の土曜日、日曜日は氷室京介とGLAYの対バンだし。そうだ、気づいた人もいるかもしれませんけど、ライブは「氷室京介&GLAY」になってるんですね。「ANSWER」のクレジットはGLAYfet.KYOUSUKE HIMUROだし。みんな気を使ってるなあという感じです。そういう僕も、先週の「モザイクナイト」で、「勝手に前夜祭」を朝までやった時には、「GLAY&氷室京介」「氷室京介とGLAY」と、両方言ってましたからね。そう思わせてしまうこと自体が、通常のコラボじゃないですよ。
そう、それもありますし、9月23日の「つま恋」もあります。僕の年代の等身大的なリアリテイは、こっちの意味の方が特別でしょうけど、後二ヶ月ないんだなあ、というひしひしとした想いがあるんですよ。まあ、僕らですらそうなんですから、拓郎さんは、見えないプレッシャートの過酷な戦いが始まっていると思います。あの人がそうなった時の自分の追い込み方はすさまじいものがあります。
そういう意味で言えば、自分のこともあるわけでして、今年が、僕にとっても区切りの夏になるわけです。思い出に残る夏にしたいなとか思ったり。でも、思い出というのは生きている人にとってなわけで、死んでしまったら思い出も何もあるか、という乱暴な声も聞こえてきます。そういう年なんですよね。
今日、30年ぶりくらいに逢った友人と飲みました。新大久保の海鮮韓国料理屋でした。すごいなあ、あの辺。噂には聞いていたんですが、活気がありましたねえ。東京コリアンタウンという呼び方にふさわしいですね。しかも料理もおいしかったし。新宿に来るのはやはり30年ぶりという人もいましたが、びっくりしてました。
あの感じは悪くないですね。エスニック的でボーダーレスなおもしろさ。やっぱりいろんな人が集まっているから面白いんですよ。飛躍した言い方をすれば、そこから扉が開いてゆく気がします。外国人入国を制限すれば良いというのは逆行する意見だと思うのですが、どうでしょうか。いろんな価値観との共生。これが重要なんだと思います。
みんな同年代でした。つまり、会社員は定年なわけですよ。感慨がありましたね。僕みたいに、そういう仕事に縁がない人間は、彼らが羽振りの良いときは、大変だねと同情めいた目で見られたりしましたが、今や、「おまえは良いよな」ですからね。
何かに守られて生きてきた人間は、守ってくれていたものがなくなれば、存在基盤を失うわけで、僕らのように大して守られてこなかった(と思いこんでいるだけでしょうけど)人間は、結構しぶといという構図でしょうか。60才以降の人生をどうするか、大変だと思いますよ。でも、だからこそいろんな可能性が眠っているわけですけどね。で、僕も9月に、そこに直面するわけですけどね。まあ、「つま恋」があるんで、そんなことにくよくよする暇もなく通過してしまうでしょうけどね。幸いなことに。
さて、昨日は色々ありがとうございました。個別にコメントをお返しするにはボリュームもありましたんだ、、まとめてお礼をさせてください。僕だけではなくて美也子の分もにゃ(笑)。そう、百人一首ですよ、この話しだ、最近、つい忘れます(笑)。結構ご存じの方いらっしゃるんですね。学校でやるのか。なるほどね。それは色々再発見した気もしますが、それはまたいつか。
では今日最後の曲です。1985年夏、拓郎さんが二度目の「つま恋」の前に発表した曲です。あの時は、彼も30台最後の夏でした。あれから21年。でも、夏はやってきます。吉田拓郎で「夏が見えれば」。じゃ、お休みなさい。