長島、だなんて呼び捨てにしてしまいましたが、長島さん、と言わないといけないんでしょうね。長島監督です。言わずとしれた背番号3であります。昨日、今日とかまびすしいジーコジャパンの総括や分析を見たり聞いたり、読んだりしていてあらためてそんなことを思いました。
似てるような気がするんですよね。この二人が。というよりジーコジャパンと、かつての長島巨人という二つがと言った方が良さそうですが。もっと直接的に言ってしまえば名選手必ずしも名監督ならず、という昔からの例えにになるわけですが。
天才は天才を知る、一流は一流を知るという言い方があります。でも、その逆はどうなんでしょうか。天才は凡才を知らず、という言い方も出来るように思うんです。普通の人には分からなかったり出来なかったりすることの出来る人は逆に普通の人のことが分からないとでも言いましょうか。
ジーコは”自由なサッカー”を目指していたと言います。そして、彼の中には「出来るはずだ」という選手に対しての半ば盲目的な信頼もあったように思います。彼にとっては、選手を細かい規則や戦術で縛るのは、選手を信頼していないということになるんでしょう。それは彼が天才だったからでもあり、自分がそうされるのを嫌ってきたということもあるのかもしれません。
でもなあ、ということが今回の結果のように思うんですよ。彼が「普通に出来るはず」のことでも「なかなか出来ない」という選手もいるということ。じゃあ、出来ない相手をどう引っ張って行くのかという方法がなかった。これも結果論ですから、言っても仕方ないことなんでしょうけどね。
長島さんが監督になった時もそうだった気がします。意表をついた選手起用や直感的な交代。動物的カンとよく言われてました。でも、選手の時はそれだから良かったんでしょうけど、監督ってきっとそういうものじゃないんだろうな、と思ったりした次第です。
音楽に置き換えるとアーテイストとプロデユーサーということになるのかもしれませんね。アーテイストとして成功した人が名プロデユーサーになるとは限らないということでしょう。もちろんそうじゃない人も居ますけど。アーテイストとしてもプロデユーサーとしても成功している人もいるわけですが、総じて、名プロデユーサーと呼ばれる人は、現役時代に、割と不遇だったりしている人も少なくありません。ステージの中央でフロントに立つ人と、どちらかと言うと控え目だったり裏に回ったりした方が才能を発揮する人。そんな関係のような気がしました。
と言って、ブラジル戦がどうなるということでもないですしね。勝ってほしいことも山々ですし、思いがけないことを祈るばかりですが、どうにも気になる話もありましたね。日本戦の試合時間が二試合ともテレビ局の放映時間に合わせてあの時間になった、ということなんだそうです。何だかなあという感じでした。
確かにあの時間の方が聴取率がとれるのは間違いないでしょうけど、一次リーグであの時間で二試合もやるのは日本だけだそうですね。まあ、だから僕らも見ることが出来たんでしょうけど、良いのかなと思いますよ。
長島さんとの流れで言えば、巨人戦もそうだったじゃないですか。テレビの都合で物事が動いてゆく。良いことないように思えます。巨人戦はついに最低数字を記録しましたね。なんだか巨人が読売ヴエルデイの二の舞になるようないやな予感がしてます。日テレと読売が巨人を捨てる日。それは日本のプロ野球にとってどういう日になるんでしょうか。
野球のことは、ブラジル戦が終わってからゆっくり考えてみましょうかって、まるでスポーツ詳論かみたいですけどね(笑)。