こういうこともあるんですね。人が死んだりとか、悲しい話ばっかりじゃないわけですよ、人生というやつは。そんな電話をもらいました。
かけてきたのは文化放送の旧知のデイレクター。もう十年ぶりくらいになるでしょうか。彼が、7月に出演してくれないか、と連絡をくれました。
ご存じの方もいるでしょうけど、文化放送は新社屋に移転します。今までの四谷の局からの放送は今年の7月までなんだそうですよ。その依頼された番組というのが旧局からの最後の直前の週の生放送というものでした。
以前、少し書きましたが、僕は、放送作家だった時代があります。70年代の半ばには分阿呆そうでレギュラー12本という時代がありました。その前は、「セイヤング」という深夜放送の夕刊フジのようなタブロイド判8ページの機関紙を一人で編集して自分で原稿を書いてました。もっと前は、新宿のタウン誌「新宿プレイマップ」の編集をしていたんですが、その雑誌は文化放送がイニシアシチブを取って誕生したものでした。
つまり、20代のほとんどは文化放送と関わっていたわけです。77、8年かな、深夜放送が人気になって、それまでは馬鹿にしていた芸能界が、進出してきて、アイドルがパーソナリテイをやるような時があったんですよ。その時にちょうど新しい雑誌の創刊の話があって、僕は抜けてしまうんですけど、その時も「もうここは俺の場所じゃないな」というような諦めの気持ちが強かったんです。きっともうラジオには戻らないな、という感じかな。
ですから、今、こうして自分の番組を持ったりしているのが夢のようでもあるわけで、その電話は、まさに、そんな感慨を感じさせてくれたということなんですよ。
当時ですから、僕も長髪ジーンズ。かなり異色だったと思います。だって、局の中でボヤがあった時に真っ先に疑われたんですから。制作部長に呼ばれて「何月何日何時、どこで何をしていた」と聞かれたんですね。「喫茶店で原稿を書いてました。マスターがみてました」と言って無罪放免になったんですけどね。すごい話でしょ。相当怪しかったんですよ(笑)。でも、よくそんなに仕事をさせてくれましたよね。ま、そういう時代でしたが。若者文化全盛と言いますか。
そこが最後の放送に呼んでくれた、しかも出演者としてですからね。自分の20代に決別するという感覚でしょうか。再会するでも良いのかな。7月17日「団塊クラブ」という番組だそうです。問題は、7月15、16、17日とつま恋で「AP BANK FES」があるんですよ。16日をみてとんぼ帰りでということになりますが、まあ、たいした問題じゃなさそうです。
まだ最終決定じゃないそうですけど、もしドタキャンになったら、むちゃくちゃ悲しいでしょうね。長々と、昔話、失礼しました!