2月17日に56歳の若さでなくなったLUNA SEAのドラマーの真矢さん。先週、14日にお別れ会が行われました。もっと早く書くつもりが例によってといいますか、遅くなってしまいました。かなり言葉足らずではありますが、忘れないうちに書いておこうと思います。
場所が豊洲のPIT。久々に行きました。駅が豊洲だと思っていたら新豊洲。何とか間に合いました。ステージ部分に真矢さんが使っていたドラムセット三台と遺影。ライブ会場というのも真矢さんの生き様を思わせました。
それにしても早い。50代半ばは早すぎます。しかも癌が発見したのが2020年。去年は脳腫瘍も発覚。合わせて7回も手術や治療をしてきた。僕が最後に見たのは去年の2月に東京ドーム二日間でしたけど、あの時もそういう状態を忍てのステージだった。知りませんでした。
画面に東京ドームの時のドラムソロの映像が流れてました。あのコンサートが「覚悟の夜」と銘打たれていたことの意味も知らずに見てた自分を少し恥じました。まさに命がけのライブだったんだ。でも、流れた映像にそういう悲壮感がないことにも改めて感動しました。
後で知ったのですが、参列者は約1000人。かリスマバンドではありますが、タレントや歌い手じゃない、一ロックバンドのドラマーとのお別れ会。場所も決して足の便のいいところでもない。愛されてたんだろうなあと思わされました。
参列者全員の献花の前にメンバー4人と奥様の石黒彩さんが挨拶をされたんですが、それが胸を打ちました。石黒彩さんがいかに真矢さんを好きだったか、愛していたかが言葉の隅々にあふれている。彼女だけでなく真矢さんもそうだったということが伝わってくる。
真矢さんは闘病の時もずっと「幸せだ」と言い続けていたんだそうです。どんなに苦しんでいる時もそう言っていた。そういう真矢さんと一緒にいて自分も「一生以上の幸せをもらった」と時折言葉に詰まりながら笑顔で話してくれる。
そういう二人を想像して僕らも幸せな気分になれる。そういうお別れ会も初めて経験しました。メンバーの挨拶も、もちろん、そういう言葉も使われてましたけど、悲しいとか寂しいという次元を超えてました。15歳の時から苦楽を共にしてきたというのがどういうことか。
家族より近しいバンド仲間。戦友。ビートについて話してくれたメンバーもいました。損やさんが奏でてくれたビートが自分の体の中に生きている。奥様もお子さんもメンバーも全員が参列者を見送ってくれました。メンバー、綺麗な目をしてました。
どんな言葉をかけていいのかわからなくて、ともかく向き合って目を合わせて帰ろうと思ったタンです。全員のまっすぐな視線が全てを物語っている気がしました。穏やかで透明で澄み切っている強い視線。そこには一点の曇りもないように思えました。
初ライブをした結成記念日、5月29日に地元の秦野市のクアーズテックからツアーがスタートするんですよね。5月30日と言えば東京ビッグサイトで10万人コンサート「NEVER SOLD OUT」が行われた日。突風でステージセットが倒壊。廃墟のようなステージを借景にした異例のライブでした。
共同通信の「90年代ノート」の「1999年」であのライブのことを書きました。あのライブの顛末を「音楽と人」で書いてるんですね。その記事も見つかりました。1月に行ったアジアツアーも全公演同行取材してるんです。その記事もありました。真矢さん、最初の会場だった台北のリハで発熱したんですね。
あの時も実は繊細な人なんだと思った記憶がありました。でも、ライブでは別人。東京ドームでもそうでした。あの「もっと来いや~」は今も時々聞こえてきます。あらためて心からご冥福をお祈りします。曲ですね。真矢さんのドラムソロが終るときに飛び出してくるjさんが好きでした。「ROSIER」を。じゃ、おやすみなさい。