立ち直りました。一晩寝れば何とかなる。昨日は途方にくれてましたけど、もう大丈夫です。ホテルの人達のおかげでした。昨日の夜は家内も全く寝られなかったみたいでかなり消耗してました。部屋の窓の上の方にカーテンがなかった。光が入ってしまって寝てられなかった。
僕の方は上の部屋や横の部屋のドスドスいう音が気になって寝られなかった。ともかく何か変な部屋だったんですよ。ヨーロッパの古いホテルみたいなどこか神妙な空気が漂っている。形も変則的で壁に油絵がいくつも掛ってる。どっか普通じゃない。
ともかくこの状態じゃ寝られないんでせめて窓一面にカーテンをするなりして遮光できないか、という相談しにフロントに行ったら担当のハワイのロコの太った女性が「昨日の部屋、まだ押さえてるよ」と言ってくれました。
エキストラベッドを入れたりソファーベッドを使えば別々に寝られるし、それをやってみたらどうだと言うんです。普通、東京でもそこまで宿泊者の事情や都合を考えてくれるケースはかなりレアじゃないでしょうか。
そっちの部屋は下層階なので海は見えたりしませんけど、角部屋で日当たりもいい。昨日のところは「太陽の光」が届かない、みたいな雰囲気だったんです。で、その部屋に移ることで部屋問題は一見落着になりました。
ハワイの人は親切だなあというのが最大の感想。自分の勘違いで思ってもなかった部屋に入ってしまった日本の宿泊者のために新しい部屋を抑えて「もし良かったらこっちにしないか」と言ってくれる。これぞハワイだなあと思いました。
何でこんなにハワイが好きになったかというのは時々書いたことがありましたけど、82年にホノルルマラソンに出た時なんです。見に行ったんじゃなくて出たんですよ。それも行き当たりばったりというか何の計画もなく突然です。
当時やっていたTBSラジオの番組で高石友也さrんに話を聴いたんです。ナターシャセブンの時ですね。高石さんはトライアスロンを始めていてホノルルマラソンも何度目か。インタビューは向こうでと言うことになって現地に行ったんです。
で、カピオラニ公園で話を聞いてるうちに彼が「ここのマラソンは誰でも参加できるからやってみないか」ということで当時のマネジャーの山本さんがエントリーしてくれました。話のいきがかり上、成り行きで出たわけです。
当時まだ30代でしたけど。徹夜二日酔い常習の人間がいきなり走れるわけがなく、21キロ付近で膝が壊れてしまった。でも、公私ともにどんぞこの時で、これでゴール出来なかったら俺の人生はクズだ、みたいな心境でコースを歩いてました。
今もそうでしょうけど、あのマラソンは時間による足切りがない。ゴールする意思がある人がいる限りボランテイアの人も待っていてくれる。その時も沿道のボランテイアの人達がホースで水を撒いて励ましてくれました。
で、声をかけてくれるんですが、それが「SMILE!」なんですよ。「笑って!」と声がかかる。そう言われると無理にでも笑うわけで身体が軽くなる。人を勇気づけるのは「がんばれ!」じゃなくて「スマイル!」なんだと痛感しました。
そういう島なんだと思ったんですね。「分かち合う」「助け合う」ということが染みついている。それは「アロハスピリット」なんだと。あのマラソンで膝が駄目になってしまってその後走れなくなりましたけど。
昨日の言葉を使えば「人生最大の感動」でした。この島の気候や風土がそういうメンタリテイ―を育んできた。フロントのスタッフに同じものを感じた次第です。昼間アラモアナに行って10年ぶりにアロハを買いました。
円安のことはもう気にしてもしょうがない。いちいち換算して気が重くなるとどんどん楽しくなくなる、という諦めの境地、なるようにしかなりません。ということで明日からようやくハワイらしい気分になれそうです。
曲ですね。話の流れは高石さん。なくなる前にあの時のお礼を言いたかったです。「私に人生といえるものがあるなら」を。じゃ、お休みなさい。