闘病ということで表舞台から名前が消えて一年あまり。時々、どうされてるのかなあと思ったりしてましたが、なくなってしまいましたね。先週の土曜日、元「シンプジャーナル」の編集長、大越正実さんを偲ぶ会が行われたばかりでした。
今年は元「ワッツイン」の編集長でソニーマガジンスの社長もつとめた長谷弘一さんもなくなりました。みんないなくなってしまうなあと思わされる中、ついに渋谷さんまでこの世を去ってしまいました。
僕はロッキングオンには書いたことがありませんしコンサート会場で顔を合わせることと番組のゲストで来て頂いたことがあるくらいですけど、音楽ジャーナリズム、音楽ビジネス、特にコンサート面でも含めて史上最大の巨星と言っていいでしょう。
年は僕の方が上ですけど、シンパシーがあったのは、彼が「ロッキング・オン」を投稿誌として始めたことでしょうね。言ってみればロックファンのミニコミ誌みたいなものでした。僕も「新宿プレイマップ」というタウン誌が最初でしたから。
でも、その後の活躍はご承知のとおり。洋楽のファン雑誌が邦楽を手掛けるようになって他の音楽誌とは違うジャーナリズムの手法を取り入れていた。今はどうか知りませんが、ロッキングオンは原稿チェックさせなかったですからね。
インタビュアーとしてもDJとしても自分のスタイルを確立していた。その一方で出版社の経営者としても才覚を発揮していた。ジャーナリステイックな筋の通し方とビジネスマンとしての成功を両立させた唯一の人でしょう。
何と言ってもイベントですよね。雑誌とイベントを連動させた経営はすごいなあとしか言いようがなかったです。まあ、「渋谷天皇」と揶揄されたりもしましたけど、そういう中傷はつきものでしょう。
音楽ジャーナリズムと音楽ビジネスを会社のビジネスモデルとして作り上げた。そのことだけでも銅像が建っていいくらいじゃないでしょうか。彼がいなくなっても雑誌もイベントは続いてます。
それは素晴らしいことでしょうし、彼の功績の最たるものでしょうが、人の生き死にという意味での無常観みたいなものは感じざるをえません。ああいう人でもいつかいなくなる日が来る。虚しさは禁じえません。
浜田さんと佐野さんのコンサートでは席が隣になることが多かったんです。最後に言葉を交わしたのは、いつかなあ。2022年の浜田さんの武道館だったかもしれません。夏フェス来ないとだめですよ、とカツを入れられた記憶があります。
その時に驚かされたのは夏のフェスの時、一週間前から現場にはりついて照明のやぐらの位置や角度まで自分でチェックしてると言われてたんですね。そこまでやってるとは思ってませんでした。あのイベントに人生を賭けてるんだと思いました。
ああいう人はもう出てこないでしょうね。今年の5月の「MUSIC AWARDS JAPAN2025」の感想をお聞きしたかったです。心からご冥福をお祈りします。じゃ、お休みなさい。