という番組があります。毎週日曜日の夜、23時からの30分番組。今年が作詞家生活55周年の松本隆さんとフリーアナウンサー、竹内香苗さんがパーソナリテー。彼が書いた詞を歌った歌い手さん、そういう歌を愛していた俳優さんとか文化人が歌にまつわる思い出を話したりうんちくを傾けたりという松本さん初のラジオのレギュラー番組だそうです。
で、先月、ゲストに来ませんか、というありがたいお誘いがあって収録してきました。自分の番組にお招きしたことは何度かありますけど、いつもはインタビューする側ですからね。今回は僕の方がほとんどしゃべってる。こんなことしてていいのかなと思いながら、新鮮でした。
もう一年以上やってるのかな。過去のゲストを見たら、ほとんどのことが話題になってるだろうなという顔ぶれ。同じような話じゃ意味ないし何がいいのかなと考えて「サブカル」についてあらためて聞いてみようかなと思った次第です。以前は「僕はサブカル出身」と言ってましたからね。でも、この年ですからね。
昔はそうだった、とか、若い頃はね、という話になるかなと思ったら、そうじゃなかったです。こちらの勝手な思い込みですけど、僕の中で同じ時に同じ場所で始まった人、という連帯感があるんですね。彼がエープリルフールでデビューしたのが1969年。しかも場所が新宿の「パニック」というデイスコでした。
僕は新宿のタウン誌「新宿プレイマップ」の編集者。二階が編集部になっていた時計屋さんから「パニック」は数ブロック先。はっぴいえんどのデビューアルバムの字ジャケットを書いていたイラストレーター、林静一さんは「新宿プレイマップ」にも書いていて僕は絵を取りに行ったこともありました。
そこから始まって、立場は全く違いますけど、同じ時に音楽業界の片隅で生きてきた。松本さんが当時言っていた「あっち側・こっち側」を経験してきた。彼が何を書いているのか、いつも気になってました。その上で改めて彼のことを書きたいと思ったのが「風街とデラシネ・作詞家松本隆の50年」でした。
というような話の中で、いかに「作詞家松本隆」が最強作詞家なのか、という話もしましたが、収録、長かったですからね。どういう編集になってるでしょう。でも、二人合わせて153才(笑)。こんな風に話が出来て幸せだな、と思える愛おしい時間でした。放送が22日と29日。お時間あれば。Radikoで是非。
ということで、曲ですね。はっぴいえんどの「風街ろまん」で当時、好きだった曲。「空いろのくれよん」。この曲の話もしました。じゃ、お休みなさい。