後藤豊さん、社長です。1975年に設立された時は副社長、社長は小室等さん。その後に拓郎さんが二代目の社長になって、後藤さんは三代目。ですが、そこからずっと社長。今もそう。50周年3カ月ぶち抜き特集の締めは彼に登場して頂くしかありません。
だって、アーテイストやバンドの50周年は珍しくなくなりましたが、レコード会社ですからね。企業というのはほんとど社長が交代する。その時の社長の方針で会社が変わったりする。フォーライフは50年近く彼が社長。こんな例は他に思い当たりません。
しかも経営者になるとライブや制作の現場を離れてゆく。それどころか制作出身で社長になる会社の方が少ない。日本のレコード会社は親会社から天下りみたいに社長がっ気舞ったりするわけで、後藤さんのような例はありえないと言っていいでしょう。
ただ、彼は公の場に出ることも過去を振り返ることも良しとしてこなかった。当初はダメだろうなと思ってたんです。でも、当時のデイレクターやプロデユーサーが興味深い話をされるのを聴いていて、やっぱり最後は後藤さんだなあと思うようになりました。
で、スタッフの方に改めてお願いしたら、「今後の話が出来るならいいです」という反応に変わっていて、是非、ということで実現しました。今日、最後の二週を収録しました。テーマは一週目が「思い出の曲」、二週目が「これから」です。
すでに拓郎さん、陽水さん、杏里さん、今井美樹さん、憂歌団、高田渡さん、ZOOという人たちの話は出ましたけど、そこに入らなかった人たちの思い出の曲が一週目のテーマ。二週目はまさにこの先のアーテイストの話が聞けました。
70年代にフォークやロックを聴いていた人たちにとって、フォーライフはあの4人のイメージが強かったわけです。でも、その後の登場したりデビューした人たちの方が圧倒的に多いしセールスの規模も違いました。
原田真二さんとか水谷豊さん、坂本龍一さん、長渕剛さん、中谷美紀さん、BENNY K、イモ欽トリオとか、ともかくジャンルも顔ぶれも多彩でバラエテイに富んでいる。そしてそれまでにいなかった人が多い。何でそういう人たちが登場したのか。その辺の話も訊けました。
企業というのは利益を上げるために動くわけです。でも、フォーライフはそれだけじゃなかった。スタッフが面白がれるかどうか。新しい何かを作り出すための「運動体」だった。クラブ活動と言ってもいいかもしれません。
それを束ねていたのが後藤さんだった。2000年代の初めに一時、経営的な問題で会社の名前や形態が変わったりしましたけど、それもそういう風土だったからでしょう。そこを乗り越えて50年があるわけです。後藤さんは今でも新人発掘の最先端にいいるんだ、と思わせてくれたのが二週目でした。
ご承知のように彼は早稲田の学生時代に広島フォーク村を知って拓郎さんに出会ってマネージャーになるところから始まってます。ユイ音楽工房を設立したのが1971年。70年代の新しい音楽の歴史そのものです。
というようなことを踏まえながら聴いて頂けるとかなり刺激的じゃないでしょうか。初めて彼と出会ったのは文化放送。僕は「セイ!ヤング」や「三ツ矢フォークメイツ」などの構成作家。彼はユイの社長で跳ぶ鳥を落とす勢いでした。
この年で自分のラジオ番組のゲストに迎えて話をするようになるとは思ってもいなかったです。そんな感慨も感じて頂けると嬉しいです。オンエアは6月23日と30日です。というわけで、彼に選んだ頂いた曲の中から、長渕さんの「しあわせになろうよ」を。じゃ、お休みなさい。