昨日の夜、カメラマンの内藤順司さんからの連絡で知りました。元「シンプ」の大越さん。ずいぶん会ってなくて、体調が思わしくないという話は伝わっていて、元気かなあと思っていた矢先でした。
去年の秋にやはり元「シンプ」の編集をしていた古矢徹さんがなくなってますから立て続けです。古矢さんは浜田省吾さんのファンクラブ会報誌の編集をやっていたのでライブ会場では頻繁に会ってましたけど、大越さんは業界を離れてましたから。
「シンプ」がなくなった後に彼の会社、自由国民社がユーキャンに吸収されたんですね。その時の面倒な問題に嫌気がさしたんでしょう、東京を引き払って湘南の方に移って図書館勤務をしてました。というのも単なる情報。そうなってからは会ってません。
「シンプ」は、色んな音楽雑誌がある中で一番近しかった雑誌でした。「GB」はコラム誌だし、「パチパチ」はグラビア誌。しかもライターや編集者も女性が多かった。もちろん女性が多いのがいけないというわけではないですよ。
誌面の考え方というのかな。評論志向が一番強かったのが「シンプ」だった。「読み物」の意識ですね。大越さんはジャズ青年でジャズ評論を通過してた人なんで、そこの文化志向が根底にありました。長い原稿を書かせてくれた雑誌ですね。
やっぱり忘れられないのは、拓郎さんと浜田さんと甲斐バンドですね。彼は息子さんに「拓郎」の「拓」をつけたりしてましたし。でも、彼には結構、嫌味も言ってたんです。特集の一番メインの記事を自分で書いてたことに対してです。
何で僕らに書かせてくれないのかなあといつも思っていて、「編集長がメインの記事を書いてる雑誌はつぶれるよ」とかね。雑誌がなくなってからもフリーで書けばとも言ったりしましたけど、そういうタイプじゃなかったですね。
フリーの物書きはどこかいい加減なところがないと務まらない。真面目な人で好き嫌いが激しい人でしたから、自覚していたんだと思います。でも、もっと話したかった一人です。また一人、同じ時代を過ごした友人がいなくなってしまいました。
すごいなあ、と呆れますよ。ほんとに立て続け。年明けには「ヘイヘイヘイ」や「LOVE LOVEあいしてる」「堂本兄弟」の構成をやっていた放送作家の津曲裕之さん。先月かな。FM TOKYOの延江浩さん。作家で編集者だった森永博志さん。
みんな僕より年下。君たち、早すぎだよ、と文句を言いたい。大越さんは家族葬になるそうですが、明日、顔を見に行ってきます。曲ですね。彼が好きだった拓郎さんの曲「あなたを送る日」を。じゃ、お休みなさい。