FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」、4月後半二週、陽水さんの特集の収録gが無事終わりました。当時の制作担当、平田さんと南さんに色々伺いました。お二人とも当初は僕らなんかが肩っていいんでしょうか、みたいな空気でしたけど楽しい時間になりました。
お二人とも今は違うレコード会社だったりフリーのエンジニアで仕事をされていて二人で話すのもほんとに久々ということで同窓会気分もあるくつろいだ、でも、当事者じゃなければ語れないことの連続でした。
お二人は入社が86年。実際に制作で関わるのは80年代の終わりから90年代。陽水さんの話の中では比較的薄い時期といっていいかもしれません。というか、僕の知り合いの年齢が70年代の陽水さんで育った人が多いということなんでしょう。
今回のために改めてその頃のアルバムを聴き直していて思ったことも色々ありました。たとえば87年のアルバム「NEGATIVE」とかね。「9.5カラット」をミリオンにしたり二度目のピークを迎えた後のアルバムです。
ポップなメロデイーメーカーという新しいイメージが出来上がっていた矢先のアルバムのジャケットがインデイアンの老人、それもメイクも衣装も凝りに凝ったもので誰だか分からない。ジャケットが不評で売れなかったアルバムの一つです。
一つ、というのは前例があった。83年の「バレリーナ」というメランコリーとファンタジーが一緒になったようなアルバムなのにジャケットはバレリーナがV字開脚してる。あのアルバム味セールスは不振に終わってしまった。
陽水さんは自分で「ジャケットが悪かったんだろうね」と苦笑いしてたことがありました。その後が90年の「ハンサムボーイ」ですからね。満面の笑顔の陽水さんを初めて見たという人も多かったでしょう。
あの中の「少年時代」は「氷の世界」「9,5カラット」に次ぐ三度目のミリオンセラー。自分の中の意外性を楽しんでいる。売れて神格化されると自分でそれを壊そうとする。奥田民生さんと組んだ井上陽水奥田民生もそうでした。
93年の「UNDER THE SUN」の後が一位になった後でしたからね。脱力系のゆるーい二人が一緒になった。そんなこんなの90年代の現場の証言です。とりあえずのご報告。これが井上陽水という人なんだろうなと思ってお聞きください。
でも、久々の陽水さん。「LEGEND FORUM」時代の2019年に本人も出て頂いて特集した時以来。語り甲斐のあるアーテイストだなあと再認識しました。というわけで、二週間の曲の中から「手引きのようなもの」を。そんな番組になればと思います。じゃ、お休みなさい。