昨日、知人のフェイスブックで知りました。82歳。デビューが早かったからもっと上のような気がしてました。彼は商業的な場面から退いた活動をしてましたから、お会いする機会も全くなかったんですが、いつかお礼を言いたいなあと思ってたんです。
音楽のことというより「ハワイ」なんです。何回かインタビューしたうちの一回がハワイでした。81年かな。僕はTBSラジオのインタビュー番組をやってました。僕がインタビューして原稿を書いて、竹谷英子さんが喋ってました。
そこで高石さんにお願いすることになったんですね。彼がトライアスロンとかを始めた頃です。ホノルルマラソンに出るようになって4年目くらいじゃないでしょうか。どうせならインタビューをハワイでという話になったんです。
僕の経費は高石さんの事務所とTBSで半々。願ってもないです。で、マラソンの二日前にワイキキのカピオラニ公園でインタビューをすることになった。話が始まってすぐに彼が「マラソンを終わってからにしよう」と言ったんです。
ここのマラソンはほんとに素晴らしい。普通のマラソンと違う理想がある。誰でも出られる。マネージャーにエントリさせるから君も走ってみないか、今からでも大丈夫だから、と言われて嫌とは言えない。走ることになったわけです。
でも、徹夜に二日酔い常習ですからね。走れるわけがない。20キロくらいで膝を壊してしまって後半は全部歩きです。リタイアしようかと思ったんですが、公私ともにごたごたが続いている時で、何か一新したかったんでしょう。辿り着きました。
彼もまさかゴールするとは思わなかったんでしょうね。待っていてくれて「ほんとに走ったね!」と言って抱き合いました。そんな経験は後にも先にもあの時だけです。何に感動したかというとそれだけじゃないんです。
この話はかなり前にも書いた気がしますけど、足を引き摺って苦しそうな人に対して沿道のボランテイアの人たちが「頑張れ!」と言わずに「SMILE!」と言うんです。何とか笑顔を作ると気分的に元気になるということを初めて知りました。
「頑張れ」と言わずに「SMILE!」と言う。それがハワイという島なんだ、と思った。そうやって生きて行こうと思ったんですね。新宿のゴールデン街で飲んだくれたりするのはもう辞めようと思った。
今でも自分の人生が「ホノルルマラソン以前以後」なんです。高石さんの「ハワイでインタビューしてよ」という誘いがなかったら、あの体験はなかったわけですし。その後、彼は京都に引っ込んでしまって取材の機会もありませんでした。
いつかお会いしてあの時のお礼を言わないとなあ、と思いつつ今に至ってました。もし、あの時、あの人がいなかったらその後はどうなっていたか分からない。そういう人がどんどん逝ってしまう。お礼も言えないまま終わってしまう。
言える時に言っておかないと、いつかという時はもう来ないとまたしても再認識させられました。高石ともやとザ・ナターシャセブンの「私に人生と言えるものがあるなら」を。高石さん、ありがとうございました。合掌です。お休みなさい。