ライブが行われたのは昨日と一昨日。僕は一昨日見せてもらいました。2018年のツアー「Laughter in the Dark Tour」以来だから6年前か。そんなに経ってるんですね。その間にコロナがあった。やっぱりあのブランクは大きいですね。
そういう時間の感覚はステージに立っている人にも大きいというのはどのアーテイストのライブを見ても思いますが、海外に住んでいる人にとっては、日本に来れない時期もあったわけですから違う実感があるんでしょうね。
ともかく素晴らしかったんです。素直に感動しました。何に感動したかというと「キャリアの受け止め方」でしょうね。もちろん、歌も演奏も素晴らしかったですけど、そういう具体的なことも全部踏まえた上で思ったことです。
彼女が自分で言ってましたけど、今回はツアーに出たかった。日本で自分の音楽を支えてきた人たちと自分の作品を共有したかった。今年の4月に出た初めてのベストアルバム「SIENCE FICTION」ですね。
あのアルバムはただ曲を集めただけじゃなくてリメイクや歌い直しをしてるんですね。当然、その中で自分のこれまでの時間と向き合うことになった。同じ曲でも全く違う。そのことが一層、彼女の歌のすごみを際立たせてくれました。
これまでの時間、と簡単に言っても彼女のようなデビューをした人もその後の突出の仕方も前例がありません。それは数字が証明してます。アルバムのタイトルも「普通ではありえなようなSFみたいな人生」という意味でした。
でも、そこからまた新しい自分になろうとした。活動休止や海外移住というのもそういう試みでしょう。これも自分でも「大人になったのかな」と照れ臭そうに言ってましたけど、そういう時間を含めての「今」がライブにあるように思ったんです。
真摯に向き合ってそれを肯定した、出来た。ライブに対してもそういう感じでした。あんなに客席と自然に向き合って楽しんでいる姿は初めて見た気がしました。何よりもそのことに感動したという感じですね。
まだツアーが残ってるんで、内容には触れませんけど、全てが規格外だった。特別なことは何もしてない。アルバムの曲をバンドと一緒に歌ってるだけなんですが、それ自体がすでに規格外。演奏もとんでもなく素晴らしかったんです。
余計な音、過剰な演奏は全くないのに一音一音が歌と一体になっている。呼吸、気合、鼓動、言葉を超えた何かが通い合っている。彼女の歌がそうですからね。歌詞と声の境目がない。楽器の音のように歌が共鳴してる。
25年という時間が長いとか短いとかじゃなくて、これまでと違う自然体の宇多田ヒカルがいた。40代になったばかりですよ。それも規格外でしょう、と書いてからそういう「規格」自体がおかしい、と思わせてくれる。そんなライブでした。
というわけで、暑い日が続きます。野外、行かれる方はくれぐれも気をつけて。僕はもう未練がなくなりました。曲ですね。「SIENCE FICTION」の中から「ONE LAST KISS」を。これが今の歌じゃないでしょうか。じゃ、お休みなさい。