あれから3日。まだ余韻の中、夢から醒めてないという感じです。もちろん子供でもありませんから仕事はちゃんとしてます。昨日はNACK5「J-POP TALKIN」のイエモンの完パケでしたし、いきものがかりの横浜ぴあアリーナにも行ってきました。
でも、合間合間に噛みしめている。じんわりと浸っている。思い出しながら胸が熱くなる。ああいう日はもう二度どないかもしれないなと思ったり。無事終わりました、とか書いてしまうとほんとに終わってしまようで勿体なくて書けないという感じでした。
終わってからサイン会があったんで、先にお帰りになった重松さんにお礼も言えてないんです。いつかその機会があるといいな、というようなほんのり淡い期待も残ってます。なかなかうまく言葉に出来ないというのが一番正直なところです。
何だか大それたことをさせてしまったなあ、という申しわけなさもありますし。何しろ以前書いた本を紙袋に詰めて持参されました。しかもその本をかざしながら話をされる。その姿を見ているだけで満たされた想いに捕らわれてました。
90分の流れも頭の中に入っていた。ここでこういう話をして、どんな話が返ってくるかも想定して展開を考えられていた。それがあの話の締めに出てましたね。途中から時間を気にされているようにも見えたんですが、最後に時計が出てきました。
彼が81年に上京してきた時に持ってきたという置時計。その話をして当時と今を重ねてみせ、その時計が「そろそろ8時半を指している」と時間が来たことを告げて見せる。それまで話していたことの真実味が具体的に証明される。
まさに小説の幕切れ。最後の一行で大泣きするという重松節。思わず拍手をしてしまいました。でも、最初はかなり緊張もされてましたね。そういう意味では「前説」をお願いしてしまったわけですからね。内心、すみません、と手を合わせました。
こちらは例によっていい加減。早稲田の学部の名前を間違えたりね。そういうこともあるし聞かれたことに対してもっときちんと話せば良かったと思うことも沢山ある。でも、それすらもいい思い出になってる感じもする。
緊張されているように見えたのは集まって頂いたのがいつもの学生さんと違う顔ぶれが目の前にあったからでもあるのかもしれませんね。でも、終わってから蔦屋の方がほんとにいいトークイベントでした、と言ってくれたのはお客さんのおかげです。
地方からお越しの方もいらっしゃいましたし。40年ぶりに会った人もいました。もちろん業界の方もそうじゃない方もです。発表になった時は人が来なかったらどうしようと思ったりもしてたんですが杞憂でした。
最後に話を振られた時に思わず言ってしまったんですが、もしその人の人生で「この日のために今までがあった」と思える日があれば、その人のそれまでの時間は間違いじゃなかったことになる。しみじみとそう思える日でした。
重松さんはじめお集まりいただいた方々に心からお礼申し上げます。でも、お褒めの言葉ばっかりじゃなかったですよ。「田家さんのノンフィクションは甘い」とはっきり言われてましたからね。自覚しております。(笑)はなしです。
というわけで曲ですね。浜田さんの「君が人生の時」を。そういう日でした。じゃ、お休みなさい。