昨日でした。札幌ドームで行われたKing Gnu、初の五大ドームツアーのファイナル。映画館で観ました。場所は新宿のバルト9。新しい映画館みたいでした。最初は場所すら思い当たらなかった。地図を見たら昔の新宿東映のあたりでした。
新宿東映がなくなってその後に新しいマルイが出来て、その上のフロアーがTOHOシネマズで、その一角にありました。新宿、降りることがなくなりましたからね。最近は乗り換えだけ。駅の構造が一変してました。
昔のステーションビルなんて面影すらない。みどりの窓口の場所も移ってしまった。三越もありませんし地下通路も壁が全く変わっていてどこを歩いているか分からない。しかも周囲から入ってくる言葉は外国語の方が多かったりする。
早めに行ってその辺で何か食べようかと思ったら迷ってしまって結局はギリギリになりました。席は埋まってました。女性が半分以上、カップルも多かった。大人とまではいかなくてもいいお客さんだなと思いました。
浜田さんとか氷室さんとか、みゆきさんもあるか。完成したライブ映像とか映画になったものは見てましたけど、映画館でライブ中継を見るのは初めて。会場で映像を見ているのと全く違う迫真の映像と大音量。すごかったです。
King Gnuが今のバンドの中で傑出している点が三つありますね。ひとつはもちろん演奏力。ロックやジャズだけじゃない、クラシックや現代音楽まで消化している。メンバーそれぞれのアドリブと思えるバトル感が炸裂する。
ハンドマイクで歌ったりする定番のシーンもありますけど、戒厳令とか市街戦、燃え上がる都会の幻影、みたいなスリルとカオスが渦巻いている。あんなに破壊性があってそれが詩情につながっている。廃墟があんなに似合うバンドはないでしょう。
それもギターを歪ませたりシンセサイザーでノイジーな音を増幅したりということに留まらない。井口さんと常田さんのファルセットと地声のアンサンブルも加わってくる。それでいて儚さと脆さと危うさのギリギリを表現しようとしている。
曲調がそうですからね。暴動寸前のような曲もあれば消え入りそうな美しい曲もある。それがとっても日本的な知的な憂いの情緒感の中で綴られる。メロデイーのせいもあるんでしょうね。どっても文学的なロックバンドという感じもするんです。
でも、ステージのセットはヌーが生息するアフリカのキリマンジャロですからね。どこにもない大地と暴発しそうな近未来都市。幻のヌーの大軍が雄たけびを上げている。そんなコンサートのようでした。
映画館、見やすいです。会場のスクリーンはあくまでも補助的なものですけど、それがメインですからね。腰も痛くならないし帰りも楽でした。パソコンの配信ではあれだけのスケールは味わえないでしょう。
で、終わってから新宿三丁目あたりを一周。すごいなあ、知ってるお店はもう二軒しかなかった。「池林坊」と「呑者家」、あと「どん底」もあったから三軒か。末廣亭は健在でした。でも、一人で入る勇気もなく、そのまま中央線に乗りました。
4月から共同通信で「90年代ノート」が始まるんで結構大変。花粉症に悩まされながら何とかやってます。というわけで曲ですね。コンサートの大詰めだった「三文小説」かアンコールの「飛行艇」かな。どっちも好きです。じゃ、お休みなさい。