感涙ですね。まだやってませんけど(笑)。こういう日が来るんだなと感慨深くなってます。26日にホーム社から発売される「80年代音楽ノート」の発売記念イベントが決まりました。何と、作家の重松清さんと二人です。
以前、小学館から出した「小説吉田拓郎・いつも見ていた広島~ダウンタウンズ物語」の後書きを書いてくださった時に「週刊ポスト」で対談をしたことはありましたけど、今回は公開ですからね。お客さんがいらっしる、配信もあるんです。
「80年代音楽ノート」の推薦コメントも頂いてます。どういうコメントかというと”田家さんは、いつだって「あの日の、あの瞬間」にいたんだ”、です。そう言って頂けると恐縮です、という感じです。
重松さんは作家の中でも現場にこだわりを持ってる方じゃないでしょうか。2011年の東日本大震災の時、被災地にしばらく滞在して小説を書いてましたからね。捜索隊と一緒に現場を歩かれている写真を見たことがあります。
今や押しも押されぬ大御所の作家ですけど、彼が音楽雑誌の原稿を書いていた時期があることはあまり知られてないでしょう。角川書店の編集者をやめてから作家になるんですけど、フリーになって最初の仕事が音楽ライターだったんです。
「小説吉田拓郎・いつも見ていた広島」の後書きに書かれていたんですが、彼が10代の時に好きだったのが拓郎さん、矢沢さん、浜田さん、甲斐バンド、RCサクセションという人たちで、彼らの記事で僕の原稿を読んでくれていたというんです。
僕の方こそ、そういう人たちのことを書いた重松さんの原稿を読んでみたいですけど、そういうことを話してくれる「重松清音楽を語る」的なイベントになるでしょうね。彼が一番多感だったのが80年代でしょう。
どこでやるかというと代官山のTSUTAYA。以前、氷室さんのことで作詞家の松井五郎さんと話をした場所ですね。あれ、何年だっけ。氷室さんの還暦の時だから2020年か。4年前。もう4年前なのか、まだ4年なのかの感覚がよくわかりません。
コロナの後の時間の感覚はそうなってますね。何年という数字では表し切れない。あの時のトークイベントもどこか夢の中、みたいな感じです。まあ、今回も「夢のよう」という気もしますけど、それはニュアンスがちょっと違いますね。
重松さんが「音楽ライター」だったというのはものすごく誇らしい。同じ物書きの中でも社会的な認知度は高くない、むしろ低いです。趣味的な世界にいるオタクっぽい人種の中に入ってしまう。そうじゃない読まれ方をしたいとずっと思ってました。
物書きとして認知された評論家、ライターというのが若い頃の支えだったと言っていいでしょう。その「合格証」のようなイベントに思えます、ってまだやってもいないのに(笑)。いつやるんだ、というと、こういう告知が出ました。
昨日は伊藤銀次さんのPodcastの番組に呼ばれました。ラジオ番組のように時間の制約があまりない。怒涛のような80年代トークになりました。その話はまた。というわけで、5月23日です。曲ですね。図書館を歌った曲。ユーミンの「宇宙図書館」を。じゃ、お休みなさい。