一昨日、信越本線という名前もなくなりました、と書いてしまいましたけど、なくなってなかったです。昨日、帰りの新幹線の中で列車に置いてあった情報誌を見ていて知りました。なくなったのは軽井沢から篠ノ井までした。
高崎から横川までと篠ノ井から直江津までは信越本線のまま。軽井沢から篠ノ井までは「しなの鉄道」になった。その印象が強かったんで「なくなった」と書いてしまったんですが、失礼しました。最近、そういう分断路線が結構あるんだそうです。
分かりにくくないんでしょうか。僕らの子供の頃、信越本線は人気の路線だったんですよね。北陸新幹線が出来る前は、横川・軽井沢間のアプト式区間もありました、と言ってもご存じない方の方が多いでしょう。
日本で一番勾配がきつい区間だったんですね。線路の真ん中にもう一本、歯車のレースが敷かれてる。機関車の車輪にもそれにかみ合うように歯車がついていてそのかみ合う力を借りて上ってゆくという方式でした。
しかもその間に短いトンネルが数十と続いてる。いくつもの闇を抜けゆっくりときしむように昇って行った先に待っているのが軽井沢だった。しかも高度が上がるにつれて気温が下がって涼しくなってゆく。避暑地に来たなあと思える場所でした。
とここまで書いて、僕は何を書いてるんだろう、と(笑)。元鉄道少年が顔を出してしまいました。先日、取り掛ったばかりでなかなか捗らない「お片付け」をしていて押し入れの中のぼろぼろの段ボールを見つけたんです。
今までの引っ越しでも開けないままになってたんでしょうね。中を見たらなんと「鉄道ピクトリアル」という鉄道雑誌。1957年から1963年まで各一年分が合本されてました。小学生5年から高校1年かな。
そんなに取ってたんだ、と自分で驚きました。本はひもで縛ってあったんでそのままですけど、開けたら色んなことを思い出すかもしれませんね。今はやりませんけど。すごい時代ですよ。東海道線がようやく大阪まで電化したばかりの頃です。
それもあったんでしょうね。「信越本線」という名前に妙にひっかかってしまった。高校生の時、友達と一緒にアプト式区間を歩いたことを思い出しました。ポップス少年と鉄道少年。両方だったんですね。だからツアー取材が好きなんだ(笑)。
ひょっとしてこの先、突然、先祖返りするみたいに鉄道ジジイになったらどうしよう(笑)。ブログのタイトルを変えましょうか。「猫の無賃乗車」、昔風に言うと「キセル」(笑)。すごいな「猫のキセル」。長火鉢が出てきそう(笑)。
ドテラを羽織って意地の悪そうな猫がメガネをずりおろして横座りしながらキセルをふかしている。芸者置き場のやり手ばあさんって、何の話だ(笑)。というわけで信越本線は存続してます。曲ですね。松田聖子さん「風立ちぬ」を。
歌のイメージは堀辰雄さんの「風立ちぬ」。軽井沢のサナトリウム、結核療養所が舞台。信越本線がロマンテイックなイメージになった要因かもしれません。じゃ、お休みなさい。