「床」は”寝床”の”とこ”じゃないです。”ゆか”ですね。フローリングの床。いつもは畳の部屋に布団を敷いて寝るんですが、昨日、自分の部屋で寝ようとしたら、電気のリモコンが見つからない。スイッチはあるのに家具の影になっていて手が入らない。
煌々と電気がついたまま。飛行機の中で使うアイマスクがあったんで、それをかけてみたけど隙間から光が入ってくるので返って邪魔な感じがしてしまう。しょうがないんでマットレスをかついで階段を降りて床に寝ました。
ツアーの取材で地方に行った時にベッドが合わなくて数回そうしたことがあるくらいかな。家では初めてですね。思ったよりちゃんと寝ました。ただ、カミさんが起きてくるのでいつもみたいには寝てられませんでしたけど。
天井を見ながらそう言えば、妙なところで寝たなあと、ぼんやり若い頃のことを考えてたりしたんです。学生時代に校舎に泊まり込んでいた時に教室の床に敷いた布団で寝たなあとか。締めっぽいかび臭い、誰が寝たか分からないようなせんべい布団。
新宿のタウン誌を作ってる時は、新宿の歌舞伎町の公園の滑り台で寝たこともありました。滑り台で夜空を見ながらね。極めつけは電話ボックスかな。電話帳が置かれている台に腰を”く”の字の支えにして頭と足をボックスの扉につけて寝るんです。
さまよえる学生(笑)。昔、五木寛之さんが早稲田の学生時代、お寺の縁の下で寝た、という話があったり、そう言うのが流行ったのかもしれません(笑)。仕事をするようになってからは文化放送の会議室の椅子で寝ました。
徹夜で深夜放送の台本を書いたりしてそのまま泊って朝のワイド番組の台本に取り掛かる。椅子をどう並べればうまく寝られるか。何だかすさんだ青春だった感じですけど(笑)。目先のこと必死だったことは間違いないです。
でも、あれが修行みたいなものだったんでしょう。懐かしいとか辛かったとかじゃなくて愛おしい日々だったなとは思います。そういうきっかけを作ってくれた恩人のような人や同じ時代の人たちはどんどんいなくなってしまいましたからね。
ともあれまさかこんな年になるとは夢にも思ってなかったです。77。ラッキーセブンのダブル。加山雄三さんや小林克也さんが「喜寿」の時にインタビューしたことがありますけど、すごいなあ、という感じだったんです。
ただ、自分の番になったらそういう感じが全くない。片付けに追われていたり「毎日新聞」の「今月の特撰盤」の原稿を書いたり、いつも通りだったこともあるでしょう。単に数字が6から7になっただけ、という感じです。
まあ、いつまでやれるんだろうというのはもちろんありますが。身体が重いとか頭が回らなくなってるとか、反射神経が衰えるとか、誰もが経験するようなことでしょうし。淡々と出来るところまでやるというしかありません。
幸い、嫌なことはやらないで済んでるという恵まれた中にいるわけで、この年になってこんなことをやりながら暮らせるありがたいさを噛みしめながらやろうと思います。毎回、これが最後かなと思いながらね。
作家の落合恵子さんが毎年正月に遺書を書き直すんだとどこかに書いてました。何で急に落合さんのことが出たんだろう(笑)。文化放送の会議室で寝ていたことを書いたりしたからかもしれません。もう何十年もお会いしてません。
何を書いてるんでしょう。「床寝」と「椅子寝」の青春(笑)。遥か昔の話ですね。明日からの時間を大切に生きていきます。一年一年ね。というわけで、「床寝」の歌、あるかな。加藤登紀子さん「ひとり寝の子守唄」を。じゃ、お休みなさい。