平家物語をちゃんと読んだことはありませんが、その言葉は知ってます。「おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし」。一昨日のジャニーズ事務所の記者会見を伝える色んなニュースや意見を見ていてそんな気がしてました。
僕が書くようなことじゃないでしょうけど、知らん顔してるのも同じ業界にいる人間として不自然かなと思ったり。でも、全く接点のない事務所でしたから敢えて触れることもないかなと思ったりもしてました。
接点、ほんとになかったですね。70年代風に言えば”あっち側”でしたし。80年代になって音楽のことを書いたりしゃべったりすることが仕事のほとんどになってからもそうでした。かと言って自分から接点を持とうとは思わなかったです。
SMAPの「夜空のムコウ」や「世界にひとつだけの花」「ライオンハート」や松本隆さんが詞を書いたり達郎さんや拓郎さんが書いたKinkiの曲とか一連の好きな曲はありました。ASKAさんや山崎まさよしさん、作家の起用も感心してました。
でも、敢えて接点を持とうと思わなかったのは簡単です。彼らとメデイアの関係が嫌だった。自分たちが動かしている、自分たちの息のかかった人たち以外は相手にしないみたいな姿勢に関係したくなかった。俺はいいや、みたいな感じでしょうか。
僕はそういう渦中に入ったことはありませんけど、うちのタレントを出したかったら、みたいなやりとりはあったと思いますよ。あそこの事務所の人間が出るのなら、うちは、みたいなね。強い言葉を使えばメデイアへの支配的操作でしょうね。
「文春」がこの問題を取り上げた時も「そういうことはあるんだろな」とは思いつつほとんど他人事でした。落ちこぼれとか日常生活不向きな人とか、決して聖人君主みたいな人たちが集まってる業界じゃありませんし。
そういう人が思わぬ才能を発揮するのが面白さだとも思ってました。でも、そういう次元じゃなかった。もっとおぞましかった。厄介だと思いますよ。普通は「音楽に罪はない」と言えるけど、それだけじゃ済まない。
音楽が自由であるように「性」の嗜好も自由だと思うんです。そのことで差別されてはいけない。ただ、そこに「権力」が介在してくると一変します。なぜなら「個人」の問題ではなくなってきますから。
絶対的な「権力」を持った人が自分の嗜好を強要し、しかもそれが異常なものでそれに従わせようというのは犯罪です。どんなに「罪を憎んで人を憎まず」と言っても加害者の「罪」は相応に罰せられないといけない。
それでいて本人はなくなってしまっている。そういう支配に加担した人も知らぬ顔をすれば済んでしまう。彼らと歩調を合わせたりおもねることで恩恵を被っていたメデイアも企業もたくさんある。どんな風に着地するんだろうと思います。
スポンサーを降りる企業が出てるのは当然でしょう。コンプライアンスに違反した企業やブラック企業に対しての姿勢と同じでしょうから。そういう企業はタレント本人と契約するのではなく事務所として交わしているのでしょうし。
これも他人事的に言えば「名前」が残るのは筋が通らないようにも思うんです。「個人商店」みたいなものでしょうし。解体的出直しというのはそういうことでしょう。タレントにも作家や曲にも罪はない。でも、本人の「名前」は違いますからね。
例えば所属タレントが全員独立して自分の名前の事務所にすればイメージは変わるんじゃないでしょうか。野次馬的意見ですよ。もうこれ以上この話をすることはないでしょう。でも、おごれる者、久しからずだなあと思います。
曲ですね。やっぱり曲に罪はないということは声を大にして言いたいです。ジャニーズ関係の曲を抹殺するみたいなことだけはあってはいけない。SMAPの「世界に一つだけの花を」。じゃ、お休みなさい。